デイン「きみは英雄だ」
マキシマス「違う、俺は──」Falloutドラマ版シーズン1第8話デインとマキシマスの台詞
しかし、彼の否定は掻き消された。拍手、称賛、熱狂。真実より先に物語が始まる。
ドラマ版『Fallout』シーズン1はVault 33の住人ルーシーと、Brotherhood of Steelの兵士マクシマスの奇妙な共闘の末、荒野に新たな謎を残して、幕を閉じた。
200年以上前の戦前の人々、Vault-Tecの真の目的、そして、アーティファクトとコールドフージョン。
結果的にB.O.S(以降BOSと表記する)は戦いに勝ち、力を手にした。マクシマスは反乱の首領モルディバーを倒した騎士として称えられ、虐待の対象から『英雄』に祭り上げられた。
しかし、私たちはドラマ内の兵士たちのようには熱狂できない。
この世界では英雄とは秩序が作る幻想にすぎない。一切の理想が捻じ曲がり、体制の道具、パッケージの部品になったあとに残るのは自由を名乗る暴力だけだ。
ここで思い出そう。シリーズにたびたび登場する巨大兵器、それが”Liberty Prime”、リバティ・プライムだ。

“Comunism is a lie!”
リバティ・プライムは「共産主義は嘘だ!」というプロパガンダを叫びつつ、レーザーで全てを薙ぎ払いながら、核弾頭を放り投げる正義の亡霊だ。
彼はゲーム版Fallout 3のクライマックスに登場し、その圧倒的な存在感で強烈なインパクトを残した。さらに4で再登場して、ファンを喜ばせた。
さて、Amazon Primeの実写ドラマの物語の終盤でかつてのロサンゼルスに電力が復旧し、この巨大な暴力装置の再起動の条件は整った。
では、あのロボットは次に誰を粛清するのか?
この考察コラムではドラマ版『Fallout』シーズン1のラストを起点に、
- なぜマクシマスは英雄に仕立て上げられたのか?
- B.O.Sは『自由』の名の下に何を失ったのか?
- Vaultは実験ではなかったのか?
- リバティ・プライムが暴走した先に何が起こるのか?
これらを過去作の設定・世界観・象徴性に照らして、新作ドラマ、シーズン2、さらにFalloutシリーズの終局まで予想する。
Falloutは単なる核戦争後の世界ではない。
それは人類が何度も同じ過ちと悲しみ、愚かさと虚しさを繰り返す物語だ。
“War… War never changes.”
Falloutシリーズの象徴的台詞
※先日、Amazon PrimeのFalloutドラマのシーズン2が発表されました。この機にシリーズのファンとして、シーズン1やゲームを見直して、このような考察をしました。
ゆえにこの記事の内容はあくまでぼくのフィクションです。あしからずご了承ください。
B.O.Sの共産主義化と英雄神話
マキシマスは言った。はっきりと否定した。
「違う、俺は──」
しかし、誰も耳を貸さなかった。デインは彼の否定を拒絶した。仲間は勝利の熱狂に陥った。
なぜか? マキシマスの否定はBrotherhood of Steelには不都合な言葉だったからだ。
本来、BOSは『技術の管理者』であり、『過去の過ちを繰り返さないための秩序』だった。
しかし、今のBOS(ゲームシリーズの最新の正史であるFallout 4から数年後、初代Fallout 1のプレーMAPであるカリフォルニア州がドラマの時代と舞台に相当する)BOSは技術を独占し、秩序を暴力で押し付け、外部者を排除することを許容する。むしろ、それを善と見なす。
彼らは自らを正当化するために『英雄』を必要とする。英雄こそは秩序の疑心を打ち消し、体制を維持するための最上のギミックだ。
Falloutドラマのシーズン1のラスト、グリフィス天文台の決戦に参加し、たまたま生き残ったBOSの兵士、マキシマスは英雄の生成に最適な素材だった。
現場の兵士たちはBOSの行動や理念に疑念の余地を持たない。そのような疑問を抱き、不満を口にすると、『規律違反』や『階級違反』になる。
真の敵は外部の脅威ではなく、内部の腐敗である。
実際、BOSの内部生活の描写は極めて陰湿で高圧的だ。虐め、嘘、密告、裏切りが日常的に行われる。この異常が日常化する。それは腐敗の典型だ。
ところで、これは既知の構造ではないか? そう、共産主義体制の末期的特徴だ。
- 体制は盲目的に正義である
- 組織の安定のために嘘が必要になる
- 嘘を指摘することが反逆になる
- 理想のための犠牲は隠蔽と合理性で許容される
BOSは表面的には『技術の保存』や『人類の秩序』を語るが、その実態は排他、独占、英雄神話構築による内部支配だ。
その矛盾をもっとも皮肉に暴くのがリバティ・プライムという存在である。
自由という名の暴力
“Democracy is non-negotiable.”
“Communism is a lie.”
“Freedom is the sovereign right of every American.”リバティ・プライムの台詞
それは戦車でも兵士でもない。自由という言葉で武装した圧倒的暴力装置だ。
リバティ・プライム、Fllout 3とFallout 4のクライマックスに登場し、戦局を一気に動かす決戦兵器。その機能は徹底的な破壊である。
- 共産主義批判のプロパガンダを激しく喧伝する
- 武器はレーザー、踏みつけ、核爆弾投擲
- 目的は自由なるアメリカの敵の排除
その言動はあまりに直線的で、あまりに純粋で、あまりにクレイジーだ。
無論、これは冷戦期の赤狩り時代の極右的アメリカ人のパロディないしカリカチュアである。しかし、これが2025年の現代では単なるジョークでなくなった。
なぜこのロボットは「ピース・プライム」や「セキュリティ・プライム」ではなかったのか? なぜ『リバティ』だったのか?
その理由はFalloutというシリーズが描くアメリカ的自由理想の最も過激な皮肉に他ならない。
リバティ・プライム=オートマチック正義
ゲーム版Fallout 3でBOSの穏健派のエルダー・リオンズはリバティ・プライムを起動し、Enclave残党との最終決戦に投入した。
Fallout 4ではボストン空港で再起動された彼がインスティチュート壊滅の先陣を切る。途中で操られるのはご愛敬だが。
インスティチュートルートではハッキングされた彼がコモンウェルスのBOS部隊の母艦プリドゥエンを最大出力のレーザーで轟沈させる。

ちなみに4のインスティチュートルート(実質、黒幕に加担するルート)は主要選択肢の中で大型核兵器が使用されない唯一の非核エンドだ。
しかしながら、ドラマ版のBOSの隆盛からこのルートは正史のように見えない。ミニッツメン、BOSルートが下敷きのようだ。
さて、いずれの最終決戦で勝利の鍵となるリバティ・プライムのAIの判断基準はシンプルだ。そのロジックは「民主主義 vs 共産主義」の二項対立に基づく。
そもそも、この決戦兵器は核兵器の無差別発射で世界が破滅する以前のアメリカと中国の戦争の切り札として製造された。
結局、本来の用途には配備が間に合わず、200年後のワシントンDCのBOSのシタデルで再起動され、ジェファーソン記念館の決戦に投入され、旧アメリカ政府の直系のEnclave残党を壊滅させたが。
そんなリバティ・プライムの思想には一切の躊躇や妥協はない。
嘘で秩序を保つ体制=共産主義=粛清対象
ならば、4より数年後のドラマの中のBOSは彼のロジックにはどう映るか?
味方すら殺すロジック
- 欺瞞は「共産主義の兆候」と見なされる
- 妥協は「民主主義の否定」と見なされる
- 独占は「自由の侵害」と見なされる
現行のBOSは「技術独占」「強制的階層」「秩序第一」の体制であり、それはかつてのアメリカが敵と定義した共産体制の縮図にぴたりと合致する。
つまり、それらの全ての条件を持つBOSはリバティプライムの『粛清条件』に完全に一致する。
さらに重要なポイントはこの構図がFallout世界の最大の皮肉であることだ。
- Vaultの「実験」は社会の管理という名の強制的制御
- BOSの「秩序」は技術独占による思想的優越主義
- Enclaveの「純血」は民主主義を騙るファシズム
リバティプライムはそれらのすべてを否定する。仮にそれが自分を復元し、修理し、起動した『味方』であっても。
「リバティ・プライム vs BOS」は運命
Falloutドラマ版シーズン1のラストで電力網の一部が再起動した。謎のアーティファクトの力でコールドフージョンが発動して、LAに明かりが戻った。
電力の復活、それが何を意味するか? シリーズの古参のファンはすぐに思いつく。
Fallout 3ではリバティ・プライムの起動に『水資源の浄化』と『電力供給』が関係した。
Fallout 4ではマジソン・リーの技術支援が必要だった。
リバティ・プライムを動かす、物語に登場させるには電力・技術・動機の三つが揃わなければならない。
そして、Amazon Primeの実写ドラマのシーズン1の最終盤でその三つの条件が揃ってしまった。
ならば、次はリバティ・プライムが再起動し、BOSを壊滅させるという展開にならざるを得ない。
Shady Sandsはなぜ滅びたか?
少し話を戻そう。ドラマ版のFalloutのシーズン1ではShady Sands、シェイディ・サンズが壊滅した状態で開始する。
シリーズ内の時系列ではFallout :New Vegasの直後のことだ。核で焼かれて、廃墟となった。
それは唐突で、簡素で、無味乾燥にあっけなく描写される、まるで「最初からなかったことにされた」ように。
しかしながら、シェイディ・サンズはFalloutシリーズの中で最も重要な都市のひとつである。
- Fallout 1ではプレイヤーが最初に訪れる町。創設者はアラディス。娘のタンディが誘拐されるが、Vault Dweller(1のプレイヤー)に救出される
- Fallout 2ではNCR(新カリフォルニア共和国)の首都となる。年老いたタンディが大統領を務める
- New Vegasでは一大勢力に発展して、シーザーリージョン、Mrハウス陣営と勢力争いを繰り広げる。(NCRの町そのものはMAPに出ない)



その都市が忽然と地図から消えた。それはシリーズファンにはショックであり、同時に強烈なメッセージである。
「もう、過去の理想=NCRは存在しない」
それがこのシーンの意味だ。そして、これを皮切りにFalloutシリーズは終局へ向かう。
War never changes. が未使用
Falloutドラマのシーズン1ではシリーズの象徴的な一節、“War… War never changes.”がまだ出現しない。無論、これは意図的な演出だ。
その言葉は「戦争がすべてを巻き込んで、空しく愚かに終わったとき」にこそ使われる。
SKYRIMのドラゴンボーンの予言風に言うならば、
希望が失われ
理想が忘れ去られ
過去がかき消され
全てが空しく潰えたとき
あの台詞はその瞬間にこそ最大の効果を発揮する。つまり、シーズン2以降の実写ドラマが描くのは『Fallout的終末』の完成であり、War never changes. が響く舞台だ。
それは同時にリバティ・プライムによる審判と破壊の時である。
リバティ・プライムの審判とFalloutの終焉
『自由』は最後の武器であり、最後の嘘でもあった。
ドラマのクライマックスでリバティ・プライムは再起動する。かつてBOSの敵対勢力をことごとく蹴散らした決戦兵器だ。
しかし、彼の目が捉えるのは共産主義やEnclaveやインスティチュートではない。彼のターゲットはBrotherhood of Steelだ。
その理由は明白である。
- 技術の独占
- 階層による支配
- 嘘で成立する秩序
- 自由の名を騙る全体主義
リバティ・プライムのプロパガンダAIには今のBOSこそが最大の共産主義的脅威に映る。
彼のプロパガンダを思い出そう。
“Freedom is the sovereign right of every American.”
“Communism is a lie.”
“Democracy is non-negotiable.”
これは荒唐無稽なパロディーではない。アメリカが理想を掲げるたびに起動される『暴力の呪文』だ。
そして、これは平和な時代にはシャレで済むが、不穏な時代には強烈なアイロニーとなる。はたして、昨今の世界はどちらだ?
リバティ・プライムのロジックでは『秩序のための欺瞞』は最も重い罪だ。共産主義的な手法を正義と呼ぶ、これは審判の対象となる。
“Communism is a lie.”は“Lie is a Communism”と同等だ。彼のロジックでは=が成立する。
Falloutドラマ1のラストのマキシマス、デイン、BOSの兵士たちは嘘、欺瞞、出まかせそのものでなかったか?
それが熱狂と興奮で罷り通らなかったか?
なぜ誰も事実を精査しなかったか?
この世界では自由はもはや『価値観』ではない。自由は暴力だ。

マクシマスとルーシー
そこで岐路に立たされるのがドラマの主役の二人、マキシマスとルーシーだ。
- マキシマスは『英雄』とされながらも、自分の行為を否定した男
- ルーシーは『Vaultの理想』を体現しつつ、その欺瞞を痛感した女
この世界の嘘と真実をその身で感じて、心に刻むのはこの二人だけだ。かつてそうしたものは物語から退場してしまった。他の者にはその資格がない。
ゆえに二人は立ち上がる。リバティ・プライムを止めるために。
しかし、その方法は自爆だけだ。『自由』という嘘と暴力を終わらせるには象徴を物理的に破壊するしかない。
そして、リバティ・プライムが自爆に巻き込むのはBOSとFalloutそのものだ。英雄も、神話も、秩序も、物語も、すべてを瓦礫に変える。
これはFalloutシリーズが描き続けたテーマのひとつの完成形だ。
そして、荒野へ
爆心地に立つのはルーシーとマキシマス。正義も理想も消えたこの世界で彼らはしずかに歩き出す。
かつて、Vault Dwellerが荒野に消えたように。
かつて、The Courierが未知の荒野に去ったように。
“War. War never changes.”
これは戦争が変わらないという事実の提示ではない。これは戦争を利用する者たちの欺瞞と巻き込まれる者たちの悲劇が永遠に繰り返されるという警告だ。
人類は愚かさと虚しさのループから逃れられない。
この物語はFalloutのドラマだけでなく、Falloutというシリーズそのものの自己批評だ。
自由という名の暴力
英雄という名の欺瞞
秩序という名の腐敗
そして、例の言葉を最後にFalloutの世界は理想なき自由へと再び放り出される。
エピローグ:シーズン2はアメリカ神話の死を描けるか?
Amzon Primeのドラマ版Falloutはただのゲームの映像化ではない。それは核の荒野で国家や体制を語ることの虚無を描く現代神話の破壊劇だ。
また、それはFalloutシリーズの終幕劇でもある。この構想がドラマの中で正しく描かれれば、Falloutは新しい地点にたどり着ける。
それは現代アメリカ批評と長期人気シリーズの壮大な終演の完成形だ。
自由とは選び直せることだ。
Falloutはそういう物語だったはずだ。オープンワールドの定義