落車したら異世界だった件

※この記事はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
※自転車の中世ファンタジー旅行記風の軽い読み物です。
読了二時間くらいの中編小説。前から何かこういうチャリのラノベ的な創作を書こうと思いつつも取り掛かれませんでしたが、腕の怪我の療養の機会を利用して、さくっと仕上げました。チャリ活できない雨の日とかの暇つぶしにどうぞ。

異世界サイクリング
異世界サイクリング

プロローグ

 自宅から自転車で出発したのが十三時
 ふもとのピザ屋でランチを食べて店から出たのが十四時五分
 そこから山まで行ってオフロードに入ったのが十四時三十分
 下から上まで登り切ったのが十四時五十五分
 トレイルを下り始めたのが十五時ちょうど

 これがぼくの本日のタイムラインだ。季節は晩春、行楽やアウトドアに絶好のシーズンだ。しかし、そろそろ地獄の真夏さまの気配がちらつき始めるころでもある。年々、春の女神の命が短くなって、ぼくらを悲しませる。

 からっとした欧州の夏はロードレースのシーズンだが、じめっとした日本の夏はただの釜茹で地獄だ。もはや外に出るのが命がけだ。

 熟練の道楽者はこれを見越して、梅雨と真夏の休みを前借りし、生き急ぐようにせかせか遊びに行く。個人的に四月と五月はバカンス月間だ。これを逃すと十月までまともに遊べない。

 というわけで、快適な本日は週に四度の休日の内の週に三度のサイクリングの日で、その三度のサイクリングの日の内の週に一度のマウンテンバイクの日だ。ゆえに今日の外遊びの相棒はサスペンション付きのごっついマウンテンバイクと相成った。

 トレイルのコンディションは最高だった。路面はドライ、気温はノーマル、人影はゼロで、まさにマウンテンバイクびよりだ。ちなみに、場所はうちから小一時間の里山の古道で、近隣では有名な山遊びのスポットだ。マウンテンバイカー、トレイルランナー、ハイカー、山歩きお散歩おじさんでここを知らぬ者はいない。知らぬものはもぐりである。ゆえに土日祝は非常に混む。平日の午後が狙い目だ。

「貸し切りだな。ずっとおれのターン! ははははは!」

 無人の山中では幼稚な戯れ言や噓みたいな高笑いが非常に捗る。アドレナリンとド-パミンとエンドルフィンのたまものだ。おのずとライダーの状態はハイやゾーンやフローに近くなる。この非日常的な感覚はほかのスポーツやアクティビティにはちょっとない。

 ルートの序盤のハードな岩と木の区間はノーミス、ノーダメージで完了した。ぼくはちょっと調子づいて、ブレーキをやや甘くした。これはこのビビりの小心者には珍しいアクションだった。

 この直後の一直線のフラットな快速区間のおわりに左曲がりの大きなカーブが現れた。正面は崖だ。かたわらの木の幹のヴィヴィッドなピンク色のテープがやけに目立つ。このド派手な『ピンテ』は里山には定番の目印で、案内や注目や警告の意を表す。その他に柵や手すりやロープやガードレールなどの親切な保護はない。コースアウトは急斜面への直滑降、命がけのダイブである。しかし、まだ肝試しの時期ではない。

 一直線をスムーズにだっーと駆け抜けたぼくと車体が人馬一体となって、ぐぐっと曲がりのモーションに入ったまさにそのとき、ピンテの反対側の右手の茂みがごそっと動いた。

「鹿?」

 一瞬、鹿のような獣がちらっと見えたように思った。が、気配はすっと遠のいて、草葉の陰に消えた。

 そして、この脇見の合間にぼくとチャリは虚空へ仲良くコースアウトした。

「やばい、あー」

 咄嗟の意識はそんなものだった。と、風景がゆっくりになって、視界が狭まり、地表の一角だけがやけにくっきり鮮明に見えた。これはかの有名な走馬灯タイムだ。つまり、我が本能と肉体は茫然自失の精神を置き去りにして、致命的な危機を無意識に感知した。

 ぼくがすごいプロのライダーであったなら、この瞬間に自転車を放り投げたろう。着地をミスして車体に巻き込まれるのが最も危険だ。極論、金属のパーツより土砂の地面の方がフレンドリーである。まんまごついアルミのステムは鈍器だし。

 が、ぼくはただの素人だった。何かすごい特別なテクニック的なものはこの機に発動しなかった。この身は無情なる重力に引かれ、慣性のままにひゅーんと落ちた。
 
 無意識の脱力が功を奏したか、渦中の愛機が謎の自我に目覚めたか、奇跡的に前後のホイールが同時にがっと接地した。サスペンションがぐうんと沈み、かっちかちのハンドルとステムが胸元に迫る。が、言葉のとおりの間一髪でみぞおちは痛打を免れた。

「やった!」
 
 しかし、これは典型的な死亡フラグだった。マウンテンバイクの機械的サスペンションはうまく機能したが、ぼくの膝という生身のぽんこつサスペンションは着地の衝撃をいなし切れなかった。直後、サドルが股間を痛烈に突き上げた。
 
 視界がバグって、意識が飛んで、ぼくは死んだ。

第一章 異世界放浪編

やまだたろすけ先生のプロフィール

 ぼくの名前は『やまだたろすけ』
 ぼくの年齢はアラフォー
 ぼくの趣味はゲームと球蹴りと自転車
 ぼくの好物は牛乳
 ぼくの職業は物書き
 つまり、『やまだたろすけ』はペンネーム

 ぼんやりした意識の中からこんな思考がぼちぼち浮かんだ。

「・・・やってしまった」

 独り言は血の味だった。右のほっぺたの内側がべろんべろんのずたんずたんである。しかし、舌はぺろぺろ動いて、奥歯はかちかちしたし、銀歯の位置は変わらず、下顎は上顎の下にあった。

 ぼくは手始めに目をぱちぱち、鼻をすんすんさせて、上から下まで我が身の有機的なパーツをそっと動かした。二の腕、右肘、腰、背中などに大小強弱の痛みが走った。しかし、これらはせいぜい打ち身や捻挫や擦り傷で、深刻なものでなかった。

 問題は下半身だ。下の下、中の中、芯の芯だ。あの瞬間、股間から脳髄までクリティカルな電撃が走った。その残響がびりびりじんじん木霊する。

 下品さを恐れずに直球に行動しよう。ぼくはズボンに手を突っ込み、股間の状況、とくにふぐり的な球体のコンディションをチェックした。数と手応えは正常だった。

「助かった・・・こんな死に方はやだわあ」

 ぼくは何気に中性的な口調になって、ショックとダメージの回復を待った。

 自転車でこける、滑る、落ちる、吹っ飛ぶ、ひっくり返るなどなどのトラブルの全般は二輪の世界の業界用語では『落車』である。語呂のとおりに乗馬の用語の『落馬』に相当する。乗り手には不名誉なことだ。騎士や武士の世界では死に匹敵する。ゆえに落車しても同情されない。むしろ、おっさんが怪我や事故をするとアホやカスやとぼろくそに言われる。まあ、小学生もチャリですっ転ぶとお母さんにこっぴどく怒られるが。
 
 幸か不幸かこの落車の目撃者は当の本人だけだ。「ほれ、見ろ」とか「ざまあ」とかの意地悪な外野の非難は上がらない。しかし、同情のサポートも慰めも手助けも来ない。ソロのアウトドアの怖さがこれだ。一機死亡が即ゲームオーバーだ。

 いや、しかし、外遊びの原則は自力救済ではないか? ミスを反省しつつも無暗にくよくよしないのがアウトドアの基本だ。そして、集団行動は性格的に無理である。徒然なるままに一人で黙々とするのが気楽で至福だ。ゆえにこのアラフォーの先生は気ままなフリーライター業を止められず、だだぬるい独身生活に甘んじる。

 ぼくはゆっくりと慎重に身を起こした。ねじ曲がった個所や千切れた部位はとくに見当たらなかった。手足は胴体から生えて、頭は首の上にあった。

「小破で済んだな。でも、周回は無理だ。一走で降りよ」

 ぼくは嘆息しながらつぶやいた。

 落車時にはもう一つのルーチンがある。所持品のチェックだ。鍵、財布、スマホのチェックは絶対だ。とくに鍵がポケットから飛び出すと、オフロードではしばしば行方をくらます。

「変だ」

 ぼくは首を傾げた。なんか変だ。そう、空気が違う。春物のサイクリングジャケットの内側がむしむしして、おでこがじんわり湿る。とどめはジジジジという耳障りな蝉の声の盛大な合唱だ。それが周囲の木々の間から聞こえた。

 スマートフォンのディスプレイの時間表示は四月×日の十五時二十二分だ。これは不自然ではない。ぼくの記憶と一致する。失神の時間はせいぜい数分だ。口の中のジューシーな血の味や肘の傷のフレッシュさがそれを裏付ける。

 違和感はそればかりでない。周囲はたしかに山の中だが、おなじみのコースの一角ではない。木々や草葉の雰囲気が近所の里山らしくない。ふと『異国情緒』という言葉が浮かんだ。

「やさしい森の熊さんが行き倒れたおじさんを見つけて、秘密の場所まで連れ去った、とか?」

 すてきなおとぎ話である。しかし、チャリ仲間から出る出るとの噂を聞けども、この山で熊さんと出会う機会にはついぞ恵まれない。猿、鹿、猪が関の山だ。

 ぼくはファンタジックな妄想からスマホの画面に戻って、マップアプリを開いた。里山の広域図がぽんと出てきた。しかし、GPSは読み込み状態から復帰せず、ぼくと同じく行方不明になった。

「GPSがここで入らない? おかしくない? たまにモバイルは切れるけどさ・・・」
 
 リロード、リブート、オンオフ、べしべし、ふうふう、はあはあなどの対処療法は全く効かなかった。GPSは現在地点を示さず、未明の虚空にさまよい続けた。モバイル通信もこれに倣って、アンテナを一向に立てず、無情の×印を固辞した。
 
 ぼくはスマートな『ぶんちん』をポケットにしまって、怪訝に首を傾げながら、かたわらのマウンテンバイクに近付いた。

ゼロ丸くんのプロフィール

 ぼくの今日の外遊びの相棒、運命共同体、魂の友、愛しきチャリ、マウンテンバイクちゃんは奇跡的に無事だった。この物語の真のヒロインのプロフィールは以下のとおりだ。

 名前はゼロ丸
 年齢は満で二歳、数えで三歳
 身長は十五・五インチ
 体重は二十五キロ
 素材はクロモリ=クロームモリブデン鋼
 値段は五十万円

 驚異の高級品! ではない。目を丸くする方は趣味の世界、道楽というものを知らなすぎる。五十万の自転車はそんなに高い物ではない。これはそういうものである。
 
 そもそも、昔の自転車はなべて高級品だった。業務用車両、ぜいたく品、スポーツ用品のどれかだった。それが大量生産で安くなって、一万円前後の庶民の足となった。

 むしろ、ホームセンターのママチャリやシティサイクルが異常に安すぎる。あれを自転車の価格のベースにするのが根本的な間違いだ。あちらは実用、こちらは道楽である。ぺたぺたのスリッパとぴかぴかの革靴は同じものですか? クロッカスとジョンロブが同列ですか? 五十万円は嗜好品の入り口でしかない。つまり、五十万の自転車は別に高くない。まあ、この零細ライターの懐には大奮発の高級品だが。

 ゼロ丸の名前はこの車両の経歴による。この自転車は二年前の夏に取材用の『車両運搬具』の勘定科目で購入され、前年末に減価償却を終えて、めでたく簿価零円となり、奥床しい『ゼロ丸』の名跡を襲名した。今や野に山に駅前に定食屋にスーパーマーケットへの買い出しにと多彩な活躍を見せる。

 それでも、五十万円の自転車の真価は一般人にはなかなか伝わらない。

「チャリに五十万? アホですか?」

 そういう声が暗に聞こえる。野暮な話だ。個人的には十万円の新型スマホをローンで買う方が理解不能だが。そんな金があるなら、新しいパーツが生えるぞ。ゼロ丸ちゃんのステキな魅力が六十万パワーにアップしちゃうぞ!

 五十万円の内訳はざっくりと以下のとおりだ。
 
 オーダーメイドフレームが二十五万
 電動アシストとバッテリーが二十万
 消耗品や新品パーツが五万
 先代の愛機『ブルードラゴン』からのお下がりが零万

 高さの理由は特注のフレームと別注の電動ユニットである。そう、このゼロ丸くんは世界に一台のぼくの専用機である。フレームの溶接と設計は知り合いの自転車の大将のプロの技、パーツのセッティングはたろすけさんのアマの業である。ちなみにパイプは定番のレイノルズの520である。

 今や前時代的なホイールの組み立てはたろすけ先生の楽しみの一つだが、『人力でペダルを漕いで山に登る汗と涙と達成感が自転車のだいごみだ』という旧式の昭和スポコン的な発想はぼくの辞書にはもはや存在しない。単にきつい持久走や有酸素運動的負荷を求めるなら、わざわざチャリでやらずに足でやる。この身一つで出来ることをいちいちチャリでやらない。それでしか体験できないことのために道具を使う、それが正解だ。『フローなトレイルやでこぼこの下り道をだーっと突っ走る』のがMTBの最もおいしいところ、DGM=だいごみで、そのフィーリングはトレランやオフ車とも少し違う。ぼくが求めるのはそれだ。

 とにかく、ぼくのチャリの歴史では上り坂で無駄に汗水をたらすアナログ時代は数年前に終わった。『上り電動、下り人力』が近年のスタイルだ。実際、人力では上りのコストがめちゃめちゃ掛かる。体力の消耗感はでこぼこ道で二倍、酷暑で四倍に増大する。一日の走行回数が伸びない。

 これを解消するのがゼロ丸くんだ。この子はぼくとぼくの膝をやさしくサポートする。まさに乗り手を助ける馬のようなものだ。結果、物書きのような生業のものは一種の自我や個性のようなものをこの子に見出して、妄想や擬人化に励む。現に人工知能が入って、顔のアイコンが出て、会話調の音声か文字が出れば、一つのキャラクターが完成する。そんな漆黒のクルマのドラマは大昔にあった。未来のチャリはあれになる。
 
 で、このたろすけ専用チャリは乗り手の不注意に巻き込まれ、地面と激しくクラッシュしながら、奇跡的に無傷だった。ぼくの勘定では擦り傷、ガリ傷、汚れ、塗装剥げ、パンクなどは傷の内に入らない。そういう軽微なダメージは漢の勲章だ。

 ブレーキはばつんと効いたし、サスペンションはちゃんと動いたし、シフターはかちかち切り替わったし、アシストのパネルはぴこんと起動したし、ホイールはくるくる回った。ほら、無傷だ。

「奇跡だ。日頃の行いが出たな。ぼくらは無事に帰れるぞ」

 そう、キモは『自力で帰れるか』だ。「おうちに帰るまでが遠足です」という先生の教えは小学校で習う最良の教訓である。

 と、急にアラームが鳴った。ぼくはびっくりして、スマホを取り出した。はたして、ただの十五時三十分のお知らせだった。依然としてアンテナは立たず、GPSは復活しなかった。

「ビビるわ! まあ、ぼちぼち行くか」

 ぼくはゼロ丸を手で押しながら、とぼとぼ歩きだした。

地球外の歩き方

「少し歩けばいつもの場所に出ないかなあ・・・異世界転生なんてものは非現実ですよお・・・いや、『転生』ってのは正しくない。ぼくはぼくのままだ。声がたろすけさんの声だ。結局のところ、ぼくは死ななかったし、生まれ変わらなかった。とすれば、『転生』より『転移』が妥当ではないか?」

 こういうわずかな差異に拘るのは職業病だ。独り言の多さもこれに由来する。頭の中に言葉や文章は湯水のように湧き出るが、語呂やリズムやアクセントは発声でしか分からない。物書きが表現にぞんざいでどうする? 秋の日の『バイオリンの』では風情とリズムが出ない。そこはやはり上田敏先生の『ヸオロンの』が秀逸だ。まあ、周囲の気配は夏色だが。

 この即興詩人は鬱蒼の草葉を分け入り、木々を抜け、がむしゃらに小一時間ほど突き進んで、ようやく山道の法面らしき地形を発見した。高台へのマウンテンバイクの押し上げは芸術家にはハードだった。
 
 はたして、そこは道幅一メートルほどの狭路だった。こういう道は山遊び用語では『シングルトラック』と言われる。日本の里山の参道や古道はだいたいこれだ。人やチャリやオートバイは通れるが、自動車は入れない。クルマが走れるオフロードは『ダブルトラック』である。『トリプル』や『クアドラブル』はとくに数えられない。いずれにも神社仏閣、墓場に遺跡、不法投棄とゴルフ場、そして、大容量の大杉林がテンプレートのように付属する。

 しかし、この付近にはあの陰鬱な杉林が全く出てこなかった。植生は自然な雑木林だった。空気はすでに真夏を思わせ、春物のジャケットの中身をべとべとに蒸らした。

「人気のハイキングコースではないね」

 ぼくは路面のノイズの多さを見て言った。そう、人気のコースはこんなに荒れない。しかし、道筋は見える。完全な手つかずの野山には思えない。

「ゼロ丸くん、行けるかな?」

 ぼくの問いに愛機はしずかにうなずいた。

 未知の林間ライドが始まった。道幅と斜度は及第点だが、路面と視界は失格だ。倒木と落石がタイヤを阻む。枝がホイールにからから絡まる。蜘蛛の巣が顔面をねちょっと捉える。スピードが上がらない!

 数分の鈍足亀さんライドの後に分かれ道が現れた。分岐のたもとに石の祠とぼろぼろの切り株のベンチがあった。このような人工物は参道の風物詩だ。つまり、文化と宗教と人類の証拠である。

 ぼくは分かれ道の行き先を慎重に確かめて、明るい広い方へハンドルを向けた。

 尾根伝いのゆるやかな下りがしばらく続いた。しかし、路面のノイズ、鬱蒼の枝葉、蜘蛛の巣の猛攻は一向に収まらなかった。何でこんなにピンポイントで顔面にねとねとの巣が来るの?! 人寂しい裏道や通行禁止のルートはこんな感じである。そして、立ち止まった瞬間に小さな羽虫が顔の回りをぶんぶんホバリングする。メマトイかブユだ。イライラが募る。

 神経をすりへらした末に、ぼくは出口らしいところに出た。そこは草地の広場だった。一角に大きな石の廃墟があった。お供えやお賽銭の類は見あたらない。野ざらしの無骨なオブジェだ。遠い昔の忘れられた祭壇かなにかのように見える。管理人がたまに来るか、マニアックな巡礼者がごくまれに立ち寄るか、そういう穴場だろうか?

 スマホがぶるぶるして、アラームが鳴った。

「十七時、午後五時、ご帰宅のお時間です。でも、わりに暗くならないね?」

 アウトドア愛好家の肌感で空の気配はお昼過ぎくらいに思えた。一時から二時くらい。これは本来のタイムラインではピザランチの時間だった。

 森の中で感じた異国情緒は気のせいでなかった。空の下は広大な草原だった。日本にはこんな原野はない。四国のカルスト、安蘇のカルデラ、北海道のサロベツなどが近い雰囲気を持つが、この圧倒的なスケールにはぜんぜん及ばない。

「海外かゲームみたいだな。ほんまに貸し切りですわ、プライベート原野ですわ」

 ぼくはやけくそ気味につぶやいて、ペダルをしゃこしゃこ漕ぎだした。

 開放的な天然のグリーンはマウンテンバイクに格好のフィールドに見える。しかしながら、草地、芝生、グラスの乗り心地はそんなに爽快ではない。草の丈やボリュームが増えると、クッション性は高くなるが、抵抗力が強くなる。結果、てきめんにタイヤがもっさり重くなる。
 
 さいわいこの草原には田んぼのあぜ道のような細い筋があった。こちらはグラス三、ダート七くらいの適度なオフロードだ。この広大なフィールドではここをちまちま走るのが最も効率的である。

 むんむんの土と草の匂いは九州のド田舎のばあちゃんの家を思い出させた。といっても、ばあちゃんのところには乗用車と軽トラックとトラクターがあったし、町内の道路は妙にきれいなアスファルトだった。日本の田舎は自動車王国である。が、ここには道路族の気配は全くない。

 そんな田舎の空気に一抹の変化が現れた。生臭い匂い、獣臭さだった。遠方に数軒の建物と大きな四足の動物の群れが見えた。

「豚? 牛? 馬? 羊? とにかく家畜だ。つまり、あれを飼う人間がいる。さあ、この地のヒューマノイドはどんな姿でしょうか?」

 ぼくは詩人からジャーナリストに転身して、生臭い風上にチャリを進めた。

タロッケス・ヤダム

 はたして、そこは牧場だった。小屋と畜舎と囲いがあり、柵の中に動物がいた。鳴き声や動作やサイズはぼくらの世界の『牛』にそっくりだ。しかし、何か細部が違う。顔が牛より少し馬っぽく見えるし、鳴き声がやや羊っぽく聞こえる。といって、ぼくは獣医でも酪農家でもないが。

 とにかく、このサイズの家畜を飼育し、このクラスの小屋に住むヒューマノイドは十メートルの巨人ではない。一メートルから二メートルの知的生命体だ。ならば、同等のヒューマノイドのたろすけさんの対処レベルにぎりぎり収まる。狼男やケンタウロスやバッタ男みたいな獣人でなければ。

 空想は物音で途切れた。小屋の扉がばたんと開いて、小さな人影が飛び出てきた。それはドワーフやゴブリンでなく、普通の人間の子供だった。

 ぼくはチャリのベルをちりんと鳴らして、おーいと呼びかけた。坊主は軒先でびくっと立ち止まったが、シンプルな好奇心でこちらにやって来た。

「ハロー、こんにちは、ボンジュール。きみは日本語を話せますか?」

 少年の第一声は「あー」で、第二声は「うー」だった。たしかに彼の顔形は日本人的ではなかった。はっきりした目鼻立ちは東洋より西洋系、アジアよりヨーロッパ風に見えた。
 
 この異邦の少年はぼくとゼロ丸を見比べて、数節の語句をつぶやいた。その発音は英語やフランス語やドイツ語やスペイン語でがなかったが、表情と素振りからおそらく「これは何ですか?」だった。

「バイク、チャリ、ジテンシャ、バイク、チャリ、ジテンシャ」

 ぼくはゼロ丸を指さして、この三つの単語を繰り返した。現地の少年の感性には二番目の『チャリ』がしっくり来たか、小さな口が舌足らずに「チャリ! チャリ!」と叫んだ。そして、彼の注意はチャリから乗り手に移った。

「タロスケ、タロスケ、ヤマダ、タロスケ、ヤマダ」

 ぼくはおのれの顔を指しながら、保育園の先生のようにはっきりと発音した。

「ヤームダー、ター、タロッケ?」

 少年は舌足らずに復唱した。

「た! ろ! す! け! まあ、ペンネームだけどさ」

「ペネーム、ダ、ケドーサ?」

「スペインの貴族か!」

 数セットの片言のラリーが効を奏し、両名の自己紹介がつつがなく終わった。ぼくが『タロッケス・ヤダム』で、あちらが『ケム』だった。少なくとも、現地の少年の発音はぼくの耳にそう聞こえた。

 ケムくんはタロッケスよりチャリに興味津々で、ゼロ丸の足元にまとわりついて、ぎざぎざのギアやぴかぴかのフレームを熱心に見入った。ぼくは不意にベルを鳴らして、彼をびっくりさせた。それから、少年のお気に入りはこの『チリンチリン』になった。

 にぎやかな交流の最中、小屋の戸口から新手が現れた。はっきりした目鼻立ちがケムにそっくりだった。背丈はぼくより少し小柄だが、体格は骨太で筋肉質、腕の毛深さと太さがとくに際立つ。髭と髪は暗い赤毛だ。顔形はアジア系やポリネシア系ではない。服装はシンプルで質素だが、おそらくハンドメイドの一点もので、百パーセントの天然素材だ。
 
 こちらの親父さんはちりんちりんに全く反応せず、逆にしかめっ面をして、低い声でもごもご言った。ケム少年はチャリから離れて、いかつい大人の陰に隠れた。

 先手必勝だ。ぼくはリュックからチョコのアソートを何個か取り出した。まず、「チョコ」と言って、一粒を実際に食べてみせて、のこりを二人にプレゼントした。親父さんは鹿の糞みたいな贈り物に当惑したが、少年は子供の単純さですぐにパクついた。
 
 このときのケムの顔は必見だった。禁断の果実を口にした男女はこんなだったか。親父さんは息子ほどに大胆でなく、黒い粒をちょっぴり齧って、しばし茫然と佇んだ。一つ目を食い終わったケムがそれを狙って、「チョコ! チョコ!」と叫んだ。かの有名な「ぎぶみーちょこれーと」がこの地で再現された。

 これで場は和んだ。親父さんはいかつい表情を崩さなかったが、ぼくのジェスチャーに応じて、一杯の飲み物をくれた。牛らしきものの乳らしき白い汁はおそらく牛乳だった。非常に濃厚な生ぬるい常温の液体で口の中がほのかにチョコミルクになった。

 この後、ほぼ牛の名前が『バス』で、ほぼ牛乳が『パン』で、さようならが『クル』だと判明した。つまり、『パン』屋で牛乳を買って、店から出るときには『クル』と挨拶して、もーもー鳴く『バス』でのろのろ帰るのがこの地の流儀である。こういう同音異義語は非常に厄介だ。

 ぼくは親切な親子に「クル!」と言って、牧場から去った。

異世界交通事情

 田舎の細道は石畳の街道に合流した。この地の初の舗装路、オンロードだ。こういう古風な石畳は仏蘭西語では『パヴェ』だ。イタリアのアッピア街道、フランスのパリ・ルーベなどは有名なパヴェである。日本では大阪の暗峠や箱根の旧街道、熊野の古道などがこれにあたる。

 土の細道と石の街道の合流地点に道しるべがあった。シンプルな矢印のシンボルは分かったが、それ以外の表記はちんぷんかんぷんだった。楔形文字やヒエログリフより未知の文字に目がちかちかした。

 ぼくは解読を諦めて、木陰の草むらに横たわった。すると、街道の交通量はぴったり半減した。ぼくが脱落した後にはこの長大なパヴェの通行者はたったの一台だけだった。石畳の彼方に馬車らしい物陰がのろのろ揺れた。のどかな風景に瞼がおのずと重くなった。

 まもなく、とことこ音とがらがら音が聞こえた。

「蹄鉄と車輪、文明の英知ですな。でも、空気入りのゴムタイヤはどうですかね?」

 ぼくは欠伸しながらゼロ丸の太いブロックタイヤをにぎにぎした。

 ご存じのようにゴム製品は近代の発明だ。空気入りタイヤの創始者は十九世紀の英国の獣医師のダンロップさんだ。チャリに乗ると頭痛を起こす息子のための英国紳士の自家用品が空気入りタイヤの起源である。この由縁からママチャリのチューブの口金は『英式=ダンロップ式』の名を持つ。もっとも、本家の英国ではダンロップ式はすでにマイナーで、米式か仏式がメジャーだ。ダンロップさんの涙目が浮かぶ。

 ちなみにホイールとニコイチだったダンロップさんちの空気入りチューブタイヤを独立型のアタッチメント方式にしたのがアンドレ・ジュール・ミシュランさんだった。自転車乗り及び乗り物好きはこの二人に足を向けて眠れない。

 さて、なんでダンロップさんの息子はチャリで頭痛に見舞われたか? 理由はおもに車輪の硬さである。大昔のタイヤ及びホイールの外殻は木や鉄や空気なしのゴムの塊だった。そして、道路はこういうパヴェだった。硬いソリッドな車輪で石畳を走ってみよう。工事現場のドリルのような乗り心地だ。事実、十九世紀後期のフランスのミショー式自転車は俗に『ボーンシェイカー』と呼ばれる。骨ぐらぐらシステム。

 同様の理由で当地の馬車は石畳の街道ではとことこしか進まない。荷馬車は駆け足できない。正味の速度は徒歩ペースである。スピードアップは事故と破損の元だ。

 この荷馬車の雰囲気は質実剛健な業務用車両、運搬用の軽トラックのような風情だった。

「郵便馬車? 客車には見えないな。とにかく、ぼくは乗れんわ。絶対に酔う」
 
 この郵便馬車らしきものが乗り物嫌いの前に通りかかった。座席の御者がこちらをちらっと見て、すぐにゼロ丸へ視線を移した。

「やあ」

 ぼくはにこやかに挨拶しつつ、相手の様子をチェックした。一見、物騒な銃器の類は見当たらなかった。しかし、護身用のナイフと棍棒は平和主義者の文人には十分に威圧的だった。

 ぼくは馬車から少し遅れて、シンプルな飛び道具の射程圏外約二百メートルの距離を置き、付かず離れずで追走した。

 パヴェはれっきとした舗装路だ。しかし、乗り心地はよろしくない。石畳の敷石の寸法は不揃いだ。半畳くらいの大きな石、こぶし大の丸石、瓦礫みたいな平たい砕石が混在する。ところどころに剥げや陥没があるし、剥き出しの部分も少なくない。当然ごとく硬い車輪の馬車の荷台はごとごと揺れる。ふとドナドナのメロディーと歌詞が頭に流れた。

 で、ここをマウンテンバイクで走るのはおもしろくない。フィーリングが単調でミニマムだ。ダイナミズムが全くない。同じ理由でオフ車のライダーやトレイルランナーは山中の丸太階段や石段を嫌う。

 実際問題、ぼくはパヴェのがたがたに飽きて、路肩のダート部分に移行した。足元はややもっさりするが、乗り心地はマシになる。そして、速度は不要だ。先行車両は時速六キロの亀さんペースでしか走らない。

 ところで、現地の馬車のライン取りは道路の中央よりやや左寄りだった。路面の状況でたまに右側へ膨らむが、基本的に左側をキープする。日本、英国などと同じだ。ぼくにはしっくり来る。そして、これは当地の文化に反しない。
 
 英国や日本の左側走行は騎士や武士に由来する。大半は右利きだから、右手で武器を扱い、左手で手綱を握る。それで道の右に寄って、騎馬武者と向き合うとしよう。右手の武器のリーチが短くなる。対面の一騎打ちで不利だ。右寄りで不利を被らないのは少数派のサウスポーの剣士だけだ。結果、自然と騎馬は左寄りになる。

 フランスの革命政府はこの前時代的な古臭い伝統に逆らうためにあえて右側走行を採用した。ナポレオンはそれを欧州全土に広めた。ゆえに大陸側の列強はほぼ右側通行である。

 と、この俗説が真実であれば、目の前の左側走行の馬車は現役の騎士や武士の存在の暗示である。この地には騎馬武者、馬の人、ライダーが主要な通行人として現存しうる。

野宿とアレの作法

 日本時間で十九時五分、現地時間で十七時くらい、行く手に街が現れた。先行の馬車は道中の家々には寄らず、ジョギングペースでとことこ進んだ。さいわい運転席から威嚇の弓矢や弾丸は飛んでこなかった。ぼくはこの案内役をしずかな一礼で見送って、街角の交差点で止まった。

 街はちょうど夕方のラッシュの頃合いだった。帰宅を急ぐ人、買い物かごを揺らす主婦、犬の散歩のおっさん、売れ残りの野菜を売り切ろうとする八百屋、野良猫、カラス、ぎゃあぎゃあ騒ぐ少年少女、飲み屋の軒先で将棋みたいなものをするじいさんコンビ、露店の揚げ物の音、馬車、馬、やくざ風のいかつい男、ゴミの山、ホームレス、水商売風のおねえさん・・・

「うわー、むちむちだわー。ボリュームが日本人とは違うわー。結婚してくれー、うわー」

 ぼくは旅の恥をかき捨てて、セクシーなおねえさんを追いかけたが、きついメンチと怒声で迎撃された。彼女の態度はもっともだ。今は女の尻を追いかけるときではない。人生の先輩からアウトドアを学ぶときである。

 にぎやかな広場の一角のごみの山の脇にぼろ布にくるまった焦げ茶色の人間がいた。このような生粋の野良人の特徴は万国で共通する。日焼けと汚れで黒ずんだ肌、無造作に伸び散らかした髪と髭、無気力な目、混然一体となったオーラ的臭気だ。
 
 ぼくは人生の先輩の周囲を右往左往して、ひび割れたお鉢の中をちらちら覗き込んだ。小銭数枚。これが今日の稼ぎでしょうか? 酒代にすらなりませんか?

 オーラが鼻につーんと来た。ぼくは恐れおののいて、うんともすんとも言えず、何気にごみの山に手を伸ばし、ぼろぼろの布切れに触れた。

 途端、寝仏のように不動だった先輩が跳ね起きて、悪鬼のごとき様相でこちらに詰め寄った。

「ギャー! クルー!」

 ぼくはゼロ丸のハンドルをキャッチして、全力全身のけんけん乗りで逃げた。あれはごみでなかった。あの人の資産だった。

 道は土手で行き止まった。堤の向こうは大きな川で、下流に船着き場があった。対岸に不揃いな屋根のシルエットと街明かりがきらきら見え、いくつかの輝きはかなり高い位置にあった。平屋の住居の窓はあんな場所にない。高所の光は都会のあかしだ。

 飲み屋のにぎわいがこの旅人の足をいざなった。ぼくは店の前でさんざん悩んだが、合法的な食い逃げの方法を思い付かず、楽し気なサウンドとおいし気なフレーバーだけで我慢した。
 
 結局、晩飯はチョコ二粒だけだった。これもあと十個ほどしかない。風呂に入れないのと歯を磨けないのは切実だ。これをおろそかにすると、アウトドアの先輩に近づいてしまう。

「明日は川だな。朝から水浴びだ」

 ぼくはゼロ丸を街路樹に立てかけて、草葉の陰の土の地肌にごろ寝した。近所の飲み屋の陽気な歌声が耳に入った。音頭も歌詞もちんぷんかんぷんだが、メロディーは悪くない。

 夜の地べたは意外に冷える。そして、蚊だ。こいつらこそは野宿の大敵だ。植え込みから一隊が断続的に出てきやがる。ぶんぶんぶん。だれか蚊取り線香をください。ぶんぶんぶん。いや、マラリアはありうるぞ?! ぶんぶんぶん!
 
「眠れん・・・」

 ぼくは寝床のポジショニングを後悔しながらスマホを見た。表示は二十一時三十分、つまり、現地時間は宵の口だ。もともと寝つきは良くない。場所を変えるか? いや、ほかの適当な場所にはすでに先客がいらっしゃる。あそこのベンチの人は卑怯だ。ところで、トイレはどこでしょう? ウォシュレットはない?

 無論、トイレもウォシュレットもトイレットぺーパーも存在しなかった。この通りの公衆便所的空間は裏手の空き地だった。菜園と花壇と肥溜めが都会っ子の足取りをたじろがせた。

 ぼくは後学のために試しかけたが、適切な清め方を思いつかなかった。紙や布や水はない。え、そこの葉っぱを使う? もしや、そのための菜園だ?! たしかにこの葉っぱの大きさや瑞々しさや手触りはぺーパー的である。先輩に使い方を聞いてみようか?

 ぼくはその葉っぱを何枚か収穫した。ミントのような清涼なフレーバーとごぼうみたいなアーシーな匂いがした。これはめっけものだ。虫除けにならんか?

 数分後、なぞの葉っぱの破片に埋もれた新手のホームレスが広場の地べたに生まれ落ちた。何となく蚊の勢いが少し静まったように思えた。

夜明けのセルフディスカバリー

 東の空がようよう白くなりゆき、月がぼんやりかすんだ。ぼくはうとうとから目覚めて、河原に再訪した。水辺はすでに盛況だった。町人が水汲みや洗濯に励み、釣り人が桟橋から糸を垂らす。

 朝の川はぬるめの水風呂くらいの水温だった。水質はそこそこ、口当たりはナチュラルだ。しかし、これを一気にがぶ飲みするのはやや不安である。

 ぼくは深みまでざぶざぶ進み、全身を清めつつ、肉体の具合を確かめた。打撲、捻挫、擦傷は群雄割拠だが、重大な損傷は全く見当たらない。アラフォーの中肉中背のボディだ。
 
 朝風呂の次は朝飯だ。メインはチョコ、おかずは葉っぱである。喉と舌はそこそこ喜んだが、胃袋は納得しなかった。最後のまともな食事は昨日のお昼のマルゲリータだ。なんでたろすけ氏はデザートを付けなかったか? ティラミスがまぶたの裏に浮かんだ。

「ゼロ丸くん、おまえの腹具合はどうだね?」

 ぼくは愛機の電動アシストユニットのパネルを操作して、リチウムイオンバッテリーのエネルギー残量を見た。電池のゲージは八十五パーセントだった。これは安全圏だ。アシストの使い方、重量、風向き、地形などで実数は変動するが、腹八分は健全である。

 とはいえ、現状はデジタルネイチャーには絶望的だ。充電器からコンセント、変電所から発電所まで電気のインフラの一切合切が存在しない。今やこの大容量バッテリーは巨大な使い捨て電池でしかない。いずれの日にか、ただの重し、数キロのデッドウェイトになる。不死鳥のようには復活しない。
 
 かつまた、スマホも同じ危機に直面する。こちらのエネルギー残量は二十九パーセントだ。これはおそらく一両日中に切れて、完全無欠のスマートぶんちんが誕生する。

 一旦、電気の問題から目をそらして、アナログな所持品を確認しよう。
 
 携帯工具
 携帯空気入れ
 替えのチューブ
 充電ケーブル
 ボールペン
 メモ帳
 チョコレート
 タオル
 鍵類
 財布

 現金は一夜で紙くずになってしまった。札束のすすり泣きが聞こえる。そして、これをぺーパー代わりにする勇気と覚悟はまだ沸かない。そうか、タオルがあるし!

 アナログな実用品は小金になりうるが、文房具を手放すのはジャーナリズムに反するし、工具類を売るのは自転車道にもとる。

「チャリを売る? それは絶対にありえない。騎士や武士が馬や刀をほいほい売りますか? ぼくらは二つで一つだ。なあ?」

 ぼくは相棒の肩を撫でた。ゼロ丸が「押忍!」と答えたように思えた。

 マウンテンバイクを手放さないのは自転車乗りの意地だけではない。自転車はこの中世風の異世界では高等技術のかたまりだ。とくに空気入りタイヤとボールベアリングは車輪の性能を飛躍的に向上させる。この二つの大発明で馬車、台車、戦車、滑車、水車、風車などなどの回り物が爆発的に進歩する。極論、この一台で産業革命が始まってしまう。富の源泉を手放すのは愚策だ。

 スマホはさらに魔法のようなアイテムだが、この世界の職人や学者の手に負えない。そもそも、持ち主が構造や作り方をちゃんと説明できない。半導体の作り方を空できちんと説明できるのは技術者くらいだ。ぼくはできない。デジタルとアナログには絶対的な次元の壁がある。

 空気入りゴムタイヤやボールベアリングはこの限りでない。精度はピンキリだが、構造はシンプルだ。たぶん職人や技術者は理解できるし、一定の水準で再現できる。で、この二つが完成すると、近代型のホイールが誕生する。産業革命だ。

「そうだな・・・馬車のメーカーにこいつを提供する。見返りにロイヤリティを貰う。か、特許を取って、自前で作る。タロッケス式ベアリングとヤダム式チューブとしよう。商標はゼルマールだ。ぼくは大金持ちになって、末永く幸せに暮らし、平日から気ままにチャリでぷらぷらする。はっはっは」

 胃袋はぐうと不平を漏らしたが、脳髄はこの偉大な計画にぐらぐら沸き立った。これを絵に描いた餅としないためには職人、学者、技術者と出会わなければならない。とにかく、そう、街だ、都だ、大都会だ。

 ぼくは決意を新たにして、船着き場を見に行った。詳細な料金は不明だったが、金銭のやり取りは見受けられた。天保山の渡しみたいな無料のサービスではなかった。そして、当然のごとく日本円は通用せず、おっちゃんに突っ返された。

 目の前の川幅は五百メートルほどだ。泳いで渡れるか? たぶんぎり行ける。では、二十五キロの自転車と一緒に渡れるか? 絶対に無理だ。

「よし、今日のライドは橋を探すサイクリングだ。行くぜ、相棒!」 

 ぼくはゼロ丸の尻をぺしぺし叩いた。

異界歴史街道を往く

 現地時間七月×日、午前の橋探しライドがスタートした。土手の上からの目視では橋や地続きの島らしい地形は地平の果てまで見つからなかった。

 一方、水上の船舶の往来は非常にさかんだった。小さな釣り船から大型の貨物船までが頻繁に行き交い、『密航』という怪しい発想を無一文漢に与えた。

 しかしながら、非常手段の実行は時期尚早だった。時空は違えど、人々の営みは変わらない。空気はきれいで、景色はのどかだ。当地の女子のシルエットはぼくの好みに非常にマッチする。数日の放浪で野垂れ死にやしない。正味、切迫の危機感はない。

「ヨーロッパ貧乏ツーリングだな」

 ぼくはのんきに呟いた。そう、実感はまさに『欧州チャリンコぶらり旅』だった。これは庶民サイクリストの憧れの一つだ。ぼくも何度か漠然と計画を練ったりしたが、何とこれが飛行機代とフライト時間なしで実現した。片道切符のミステリーツアーだが、儲けものだ。この機会を利用しないのはナンセンスだ。

 現時点の最大の気掛かりは『うちの部屋の窓を閉めたか?』だった。こういうのどかなサイクリングではそういう小さなことがぽこぽこ浮かび上がり、ぽこぽこ消えて行く。つまり、なべて世は事も無しに平和だった。
 
 ぼくの推測ではこの地の文明レベルはぼくらの歴史のヨーロッパの中世からルネサンスに相応する。陸上の移動手段は徒歩、馬、馬車だ。郵便馬車の巡航速度はジョギングペースに留まる。一日の行動範囲はせいぜい数十キロだ。これはベテランの自転車乗りにはそう長い距離ではない。

 そして、宿や駅は住民や旅人が動ける範囲で道中に点在する。現地の主要な交通手段より広く速く動けるぼくらはポイントからポイントへ容易に進める。このツアーはイージーだ。

 この見立てのとおりに駅っぽい集落や宿場は数キロの間隔で途切れなく点在した。その他の大部分は野原か耕作地だった。整然とした黄緑の区画は田んぼでなくて麦畑だった。たしかに前夜の街ぶらで米っぽい食い物は見当たらなかった。パン派にはけっこうなことだった。
 
 石畳の街道はお昼過ぎに交通のピークを迎えた。十五分に一回は袖の触れ合い、すれ違いがある。馬車や荷車は石畳を進み、旅人や歩行者は側道のダートを歩く。ぼくはこちらを走りながら、歩きの人を都度に避けつつ、快適なライン取りを心掛けた。

 人々の反応は一様だ。発見、茫然、凝視のループである。ぼくは笑顔と挨拶でそそくさとやり過ごした。何度か現地の言葉で呼び止められたように思ったが、トラブルを避けて、完璧に無視した。さいわいだれもこの脚神速の未知の神器に付いて来れなかった。この街道の王者の栄冠はタロッケスとゼロ丸に輝いた。

 平和な時間は不意に終わった。前方に一騎の人馬が見えた。太々しい乱雑な風貌が遠目に知れた。直感的に『ごろつき』という不穏な単語が頭に浮かんだ。

 案の定、先行の徒歩の人がそのごろつきから何かの嫌がらせを受けて、道を大きく外れて、小走りに駆け去った。
  
 ぼくはやや怯みながらも、騎士道とライダーのプライドを呼び覚まし、天下の公道から退かず、毅然と走り続けた。もちろん、俗説に従って、左のきわきわに寄った。

 まもなく、二人の騎士は一騎打ちの間合いに到達した。ぼくはわざわざ立ち止まって、ジェスチャーで道を譲った。しかし、相手はこれを無視して、ぼくの方へつーと流れ、行く手を遮った。

「じゃ」

 ぼくは小さく言って、右側へハンドルを切った。途端、相手の左腰の立派な剣の鞘が目に入った。片手用のサーベルか何かだった。おっさんのプライドは砕け散って、足がすくんだ。

 ごろつきは低い声で何か言った。これまでたびたび耳にした現地の「それは何ですか?」のようなニュアンスだったが、馬上からの横柄な一言は脅迫にしか聞こえなかった。あちらはライダー、こちらはライター、語呂は似るが、目線の高さは天と地だ。

「チャリ、チャリ」

 ぼくは馬上を軽く見上げて、紳士的におだやかに応じた。他方、ごろつきは態度を弱めず、威圧的な泥のような声で罵り、にやっと笑った。非常に侮蔑的な失笑だった。

「ああ? うちの愛馬がおもちゃに見えたか? うちのゼロ丸を馬鹿にすなよ。われ、こら、しばくぞ?」

 ぼくは無意味な発言を堪えたが、つい心中の本音が顔に出てしまった。いつしか二人のライダーはばちばちの睨み合いの状態になった。

 不穏な沈黙がしばらく続いて、ついにごろつきの手が剣の束に伸びた。この動作が目に入った瞬間、例の走馬灯タイムが発現して、周囲の光景がスローモーションになった。これは人体の不思議で、すごい潜在能力だが、絶体絶命のピンチの裏返しだ。なにか良い手はないか?!

ライター対ライダー

 そのとき、意外なキャッチコピーが脳裏にぱっと閃いた。

『しずかにしてね。オウマさんがびっくりするよ!』

 この一文が一字一句、びっくりマークまではっきり浮かんだ。ぼくのオリジナルではない。これは近所の公園の乗馬センターの看板の注意書きだ。そう、馬は物音にはとても敏感な動物である。野良馬は草を食べながら、つねに耳であたりを警戒し、突然の大きい高い音にはほぼ本能的に反応する。ゆえにこの獣の近くで大騒ぎするのはご法度だ。

 直後、敵の手が剣に伸びたように、ぼくの手がベルに伸びた。甲高い金属音がちゃりんちゃりんと盛大に響く。文字どおりに目と鼻の先で騒音の不意打ちを受けた馬は反射的にぶるんといななき、頭を上下に振り乱した。あの注意書きはうそでなかった。

「今だ! わー!」

 ぼくは馬に少し同情しつつ、精一杯の音波攻撃で追撃を加え、アシストと人力のフルパワーの全速前進でスタートダッシュを掛けた。速度メーターが一気に三十キロまでアップして、距離がぐんぐん広がった。

 ごろつきは体勢を整えて、馬を落ち着かせると、剣を完全に抜いて、鬼の形相でギャロップを掛けた。素行は最悪だが、技術はたしかだ。
 
 かくして、白熱の追走劇が始まった。ぼくは逃げ、あいつは差しだ。チャリの人と馬の人、相棒の違いはあれど、両者はともに騎手、乗り手、ライダーだ。自転車と乗馬の速度域はかなり肉薄する。激戦必須だ。

 こちらの先行のアドバンテージは時間にして約十五秒、距離にして百メートルだ。競馬競輪ではこの差はもうひっくり返されないが、この勝負の行方は分からない。

 差しの全力疾走はあきらかにこちらより上だった。背後の蹄の爆音が徐々に大きくなって、ごろつきの怒号が聞こえた。

「片手で良く走れるな?!」

 ぼくは後ろをちら見しながら感心して、がむしゃらに漕いだ。しかし、石畳やダートではこれ以上の速度が出ない。速度ゲージは三十から三十三くらいで行ったり来たりして、四十キロメートルには達しなかった。そして、ゼロ丸のアシストユニットの最大速度は国内仕様で二十四キロジャストだ。この速度域ではすでにモーターの補助は掛からない。ぼくの足が悲鳴を上げた。

 しかも、この全力疾走は短時間しか続かない。あちらの全力が時速五十キロであれば、数十秒でアドバンテージが消える。早くバテろ! バテてくれ!

 ごろつきはぼくの希望を無視して、武器を収めて、頭を低くし、拍車を入れて、本気の全力疾走に掛かった。この再加速で差がさらに詰まった。馬の鼻息が首筋に伝わり、地響きで足がピリピリした。そして、二度目のベル攻撃は効かなかった。

 ここでぼくは一か八かの賭けに出た。後続の進路を遮るようにわざと正面に入り、背中を無防備に晒した。

 後ろからちゃきんと金属音が聞こえた。直後、ゼロ丸の車体がぎゅんと傾いた。道端の看板がハンドルの端をかすめる。一瞬、車体がぐらぐらしたが、ぎりぎり耐えた。後ろはどうだ?!

 ごろつきはぎょっと手綱を引いたが、正面の死角から現れた障害物をかわし切れず、看板の角で脛を激烈に強打し、ぎゃっと悶絶しながら転げ落ちた。

 逃げのライダーは慣性で大きく回遊して、安全圏に逃れつつ、相手の様子をうかがった。死傷者が出るのは本意ではない。やまだたろすけは平和を愛する騎士だ。

 まもなく、ぼくはほかの野次馬たちと一緒になって、ごろつきのもとへそろそろ近づいた。検証の結果、馬は無傷で、乗り手は重傷だった。地べたにくの字で倒れた悪党は呼びかけに答えなかったが、ちゃんと息をしたし、ときおり身もだえした。

 現地の人々はしたたかでリアリストだった。一人はかたわらの剣を拾ってさっさと逃げ、別の一人は身ぐるみをはぎに掛かり、もう一人は馬の荷を荒らし始めた。

 ぼくはこれらの活動には目をつぶり、見よう見まねで馬を引いて、野原の方に逃がした。そして、そのままその場を離れかけたが、野次馬の一人に呼び止められた。

 さいわい新たなトラブルの合図ではなかった。男の手から巾着袋が飛んできた。餞別だ。目配せで分かる。出所を問うのは野暮だ。はい、ありがたく頂きます。

 ぼくは草原の黒馬を横目にしつつ、多大な達成感と少々の罪悪感を抱えながら、駆け足で現場から離脱した。

 街道は平穏を取り戻した。しかし、気楽な観光気分は完全に霧散した。二日目の午前にこのチェイスはちょっと刺激的に過ぎた。頭と胸ががんがんするし、嫌な汗がだらだら流れる。

 しかし、小心者の足は止まらず、二つの村と集落を通り抜けて、休みなしで昼下がりまでペダルを漕いだ。

金銭感覚異常あり

 白昼の乱入者のせいで調子が狂ったが、この橋探しは下流から上流へのおだやかな遡行ライドだった。五百メートルの川幅の付近に橋が見あたらないならば、それより広い下流にはおそらくない。逆に上流は狭くなるので、橋梁の設営や渡河がより容易になる。

 この予想は的中した。流れがすこし蛇行して、川幅が狭くなったところで、きれいなアーチの石橋が現れた。あっちの岸には街が見え、こっちの岸には市が立つ。人の多さと活気で心が和んだ。

 街道と橋の道の交差点はまんま商店街だった。人手は前夜の街より雑多で、旅人や冒険者風の客が目立った。もっとも、謎の乗り物にまたがった平たい鼻の外国人は圧倒的に異端だったが。

 ぼくは茶屋の壁にゼロ丸を立てかけ、軒先の空き椅子に腰かけて、道中の餞別を確かめた。巾着袋の中身は十数枚の硬貨だった。色も形も大きさもぼくらの世界のコインとほぼ同じだ。ちなみに、金ピカのやつはない。

「これはいくらだ?」

 ぼくはだれか偉い人の横顔となにか凄い意匠入りの銀貨をじっくり見た。真ん中の記号はおそらく数字だが、具体的な価値はさっぱり分からない。

 茶屋から呼び込みのおねえさんが出てきて、お待ちのお客さまに声を掛けた。ぼくは店の中の客を適当に指さして、ジェスチャーで『ここであれを食べます』と伝えて、銀貨を渡した。

 この方法はうまく行った。ほどなく飲み物と軽食とお釣りのセットが出てきた。今の銀貨は千円くらいのようだった。

 セットの食べ物はハムと野菜とチーズ入りのサンドイッチのようなもので、総合的な見た目と味はパニーニだった。うまい。

 飲み物は微発泡のフルーツサイダー的なものだった。ベリー系の匂いと程よい苦みがする。日本でこれをがぶ飲みしてチャリに乗るとお巡りさんに怒られかねない。うまい。

 個人的にはパニーニにはマンデリンのカフェオレかアッサムのロイヤルミルクティーか黒烏龍茶かほうじ茶かコーラが理想だ。しかし、このベリーサイダー的なものも悪くない。そもそも、激走と熱波で喉がカラカラだった。

 この他、焼き鳥の串、果物の盛り合わせ、チュロスみたいな揚げ菓子、瓜みたいな野菜のかごなどが腹と舌に訴えたが、理性が買い食いの衝動を抑えて、足を橋の方へ向かわせた。

 橋の入り口は関所だった。印象はそのまんまに高速道路の料金所のゲートだ。通行人は窓口でお金を支払って、街道からデッキに上がる。馬車は真ん中、歩行者と騎馬は側道を通る。はて、自転車はどうだ?

 ぼくはさんざん悩んで、歩行者のゲートに近付いた。窓口の係員や見廻りのスタッフはきょとんとしたが、特段の注意勧告は出なかった。

 肝心の料金はさっぱり不明だった。ゲートの脇に料金表はあるが、金額の詳細は分からない。文字と数字の見分けがつかない。

 ぼくは何枚かの硬貨を手のひらに乗せて、受付に示した。担当者はそこから三枚を取って、「行け」という仕草をした。ん、何かちょろまかされた? 分からん!
 
 橋のデッキの上はひさびさの舗装路らしい舗装路だった。長方形の切り石、いわゆるタイルが整然と滑らかに並び、快適な走り心地を約束した。有料はさすがである。真ん中が二車線の馬車ないし大型車両用、左右の側道が歩行者及び軽車両用で、欄干から欄干までの幅は十メートルを下らない。サイズ感は嵐山の渡月橋を思い起こさせた。

 ぼくは人の流れに合わせて、手押しでころころ進みつつ、手持ちの資金をじゃらじゃらさせた。

「ざっくりの計算で飯が千円、通行量が三百円だとすると、この横顔の銀色のやつが千円で、少しちいさいのが百円だから・・・のこりは三千円くらい? 飯付き一泊は無理ですかね? ここで少し休む?」

 ぼくの足はどっちつかずだった。一部の人々はそこに留まったが、大半は休みなしで街道まで抜けて、下流への進路を取った。前日の夜景の都市はたしかに徒歩圏内だ。日没までの五時間で二十キロメートルは冒険者には余裕の行程である。

 最後の決め手はさっきの競争だ。心と足はまだおだやかでない。あのような人種とは物理的に空間的に距離を取らなければならない。

 そんなわけで、ライドの延長が決定した。今日のゴールは前日の夜景の都市だ。

 ぼくは道沿いの露店でオレンジみたいな果物を買って、苦甘い果肉を口に放り込みながら、とろとろペースで進みだした。

棚ぼた式バケツリスト

 広大な野原が農地と牧場に変わり、道沿いの集落が大きくなり、家と家の間隔が密になり、行く手に大きな街並みが見えた。典型的な都市の郊外の光景だ。そして、道端で不意にボールの蹴り合いと相撲が始まった。ほほえましい牧歌的な光景だが、何できみらはそっちのだだっ広い原っぱで遊ばない? チャリンチャリンするぞ!

 十五時三十分、ぼくとゼロ丸は都市の玄関口に付いた。もはや道端に空き地はない。二階建て、三階建ての家々がぎゅうぎゅうに立ち並ぶ。門の前や広場や十字路は大混雑の大渋滞だ。ごみごみしたカオスさは東京や大阪のスクランブル交差点以上だ。信号はないが、交通係のような人はいる。

 ぼくは建物の角にもたれて、この様子をしばらく観察したが、ふと道路の端の金属の丸い蓋に気付いて、両手を打ち鳴らした。大きさと形状からそれは明らかにマンホールだった。下水と水洗の可能性が現実的になった。
 
 市内の移動に特段の制限はなかった。ぼくとゼロ丸は流れに押しやられて、小さな公園に辿り着いた。おやつはチョコ、水分補給は甘苦いオレンジみたいな果物だ。やはり、エールより果汁の方がぼくの口には合う。

 ゼロ丸のサイクルコンピューターの距離表示では今日のライドの走行距離は五十一キロだった。そのうちの五十キロはゆるゆるのんびりサイクリングだが、あとの一キロは決死のチェイスだ。あれで今日の気力の九十パーセントが消滅した。と、さっきの場面が脳裏にちらついて、笑いと身震いが同時に来た。

「あの状況でぼくに非はあったか? いや、なかった、絶対になかった。あれは自業自得だ。何で勝負するならライダーらしく正々堂々とレースで決めない? 素人さんに武器を向けるアホがあるか? あのごろつきはライダーとしても三流だし、ヤクザとしても三流だ」

 しかしながら、優しいたろすけさんは暴漢に多少の同情を覚えた。落馬は落車に通じる。あれはヤバい落ち方だった。しかも、ものの三分で身包みが引き剥がされた。自力救済できない輩の末路はあれだ。

 ぼくは気を引き締めて、大通りの雑踏に舞い戻った。これまでの村や町は都会生まれの都会育ちには若干の物足りなさを感じさせたが、この都市はそんなシティボーイにすら正真の大都会だった。シンプルに建物の集積が密だし、何より道幅の狭さがポイントだ。付近の一番の大通りで十メートル前後、その他の街路はおおむね三メートルから四メートルしかない。建物の外壁は道路のきわきわにある。セットバックはほぼない。これらの相乗効果で圧迫感がひとしおだった。

「カルカソンヌかシエナみたいだな」

 ヨーロッパの有名な古都が口に出た。気分はまさにお上りさんだ。実際、ヨーロッパの歴史街道サイクリングはぼくのバケツリストの一つだ。しかし、この物書き先生はめちゃくちゃ乗り物酔いするので、乗り物での長い移動には大いに尻込みする。旅費や日程や言語や体力はどうにかなるが、乗り物酔いだけはどうにもならない。深夜バスや長距離タクシーに乗るならば、一思いにぷちっと轢かれて楽になろう。その夢が長いフライトや自動車移動なしで叶った。こんなうまいことはない。

 日が少し傾いた。ぼくは疲れを感じて、宿探しを始めた。安宿のような店構えの建物はたくさんあったが、システムと価格が謎過ぎた。さらに自転車の置き場所の問題がある。この世界ではアラフォーのおっさんの命よりゼロ丸のパーツの方が貴重だ。ぼくはこの神器を屋外や厩舎や物置には置けない。

 結果的に一軒のお宿が現代人のお眼鏡にかなった。客の多さ、店の前の道の広さ、玄関と看板のきれいさが好印象だった。

 ぼくは手前の旅人の交渉の仕方を見て、自然な流れで店主にアプローチした。大将は外国人の扱いに慣れた様子で「一人?」や「飯付き?」を明快な手ぶりでスムーズに問うたが、最後にチャリを指さして、うーんと当惑した。

 ぼくは客あしらいのプロに師事して、「これを部屋に入れる」を渾身のパントマイムで表現した。これは即座に通じて、大将の了解が出た。

 宿の一階の右手は受付、左手は食堂で、奥が客室、突き当りが階段だった。食堂の人々は新手の客と奇妙な手押し車に驚愕して、談笑を中断した。ぼくは会釈しながら足早に抜けた。狭い廊下にハブの音がかちかち良く響いた。

 部屋は二畳くらいのシングルだった。設備はベッドと机と椅子だ。鍵は内鍵タイプ。極小のフリースペースはゼロ丸の寝床にぴったりだった。百点。何より重い彼氏を階段で運び上げずに済むのは高ポイントだ。二百点の星五つだ。

 ぼくはリュックを机に投げ出して、靴と靴下を脱ぎ散らかし、ベルトをがちゃがちゃ緩めて、ベッドにだらんと寝転がった。

就寝前のルーティーン

「今日は濃い一日だった。いや、今日も濃い一日だった。走馬灯タイムが日課じゃないか。身が持たない。しかし、あの男・・・そう、あんな人型の害獣こそが生まれ変わって、神さまに正しい心と体を貰えよ。でも、まあ、ここに泊れるのはあの悪党のおかげだけどな」

 ぼくは巾着の小銭をじゃらじゃらさせた。物的証拠の完全隠滅は目前だった。何がしかの金策は必須である。荷受けや工事現場が妥当だろうか。日雇い仕事はひさびさだ。

 しかし、本業の物書きが全くこれっぽっちも機能しない。現地のテキストを読み書きできない作家はもはやただのおっさんである。そもそも、この中世風の異世界にテキストの需要があるか? 読み書きの普及率は不明だ。言葉を習うにしても、どこでだれに習う?

 ぼくは暗い気分になって、スマホを取り出した。このデバイスも持ち主と同じく真の力を奪われて、カメラ付き計算機付きレコーダー付きの『ぶんちん』の体たらくから復活できなかった。残り三パーセントのバッテリーが哀愁を誘った。

 ぼくは少し考えて、このスマートぶんちんをゼロ丸のアシストパネルのポートに繋いで、給電機能をオンにした。USBケーブルが所持品のなかにあったのは不幸中の幸いだった。スマホの充電は問題ない。ただし、バッテリーの総合的な残量はもう増えない。これは単なる電気の移し替えでしかない。おおよその目安で電動アシストの二パーセントがスマホの百パーセントになる。で、ゼロ丸のバッテリーのグラフは七十七パーセントだ。スマホかチャリか・・・電池の配分と節約は今後の課題だ。

 電動製品の命は儚いものだが、アナログパーツの寿命も無限ではない。マウンバイクは本質的にはぜいたく品、スポーツ用品、専用機材だ。定期的なメンテナンスを受けないと、性能を維持できない。酷使、野ざらし、ノーメンテでゾンビのようにしぶとく生き永らえるママチャリとは違う。

 ということで、ライド後のパーツの目視と触診は自転車乗りのたしなみだ。ぼくは車体の汚れを拭きながら、各部を逐一にチェックした。

 フレーム
 タイヤ
 チェーン
 ブレーキ
 シフター
 サスペンション
 ケーブル 
 
 これらのパーツは正常だった。ゼロ丸くんは健康だった。

「あの大ジャンプとハードランディングで良くぶっ壊れなかったな? えらい子だ」

 先述のように細かい傷は数に入らない。走行や性能に差し障るような大ダメージ以外は漢の勲章だ。むしろ、遊び方の特性的に無傷のぴかぴかのマウンテンバイクは丘サーファーのような微妙な存在である。乗ってなんぼ、走ってなんぼだ。

 この日のチェックはややシビアになった。充電と同様にパーツの入手は絶望的だ。自転車で真っ先に消耗するのはタイヤとチェーンだが、この二つは近代以降の産物である。この世界にはおそらくない。少なくとも、サイズ二十六インチ、ワイズ二・三五インチのマキシスハイローラーやシュワルベマジックマリーのチューブレスモデルなどはそのへんの納屋からひょいと出てこない。

 心の支えは携帯空気入れと二個の予備チューブだ。これまでの自転車遊びの経験から無茶苦茶な機材トラブルがなければ、一年間の運用は充分に可能である。

「一年? 一年もここにいるの? タイヤが擦り切れんでも、観光ビザが切れるよ、全くさ」

 ぼくはゼロ丸をすっかりきれいにしてから、おのれの身体をごしごし拭って、晩飯前にこざっぱりした。

 店主は非常に親切だった。夕飯時にわざわざ部屋までやって来て、身振りで『来い』とか『座れ』とか『食え』とか教えてくれた。食事は民宿風のシンプルかつボリューミーなものだった。すなわち、パン、スープ、肉、酒である。

 現地の一般的な食事は都会っ子の舌にはちとワイルドで一癖だが、納豆や漬物よりぜんぜん行ける。エールの味が昼の茶屋のものとまた微妙に違った。この店のやつはナッツみたいなフレーバーだった。

 食事の後にはお決まりのお喋りないしジェスチャータイムが始まった。ランプの明かりのもとで流暢な会話と片言と身振り手振りと笑いが飛び交った。

 ぼくは聞き役に徹して、ヒアリングに励んだ。そちらはイタリア語ぽいフランス語のように思え、こちらは英語みたいなドイツ語然と響き、あちらは中国語らしき韓国語風に聞こえた。つまり、ちんぷんかんぷんである。

「だれか日本語を話せませんか?」

 この問いかけは満場一致の怪訝な表情と数秒の沈黙を得た。

 ぼくは食堂の皆におやすみを言って、部屋にそそくさと退散し、スマホでこっそり録音した雑談をスロー再生で流しながら、ベッドでごろごろしつつ、深夜まで異世界語の一夜漬けを続けた。

第二章 ナグジェ滞在編

いそうろう

「先生、ナグジェ語の性変化と格変化はニホン語にはありません。これはほんとに難しすぎる。ぼくはしょっちゅう間違えてしまいます」

 ぼくは大げさに嘆いた。

「大丈夫ですよ、タロさん。日常の会話は試験ではありません。あなたのナグジェ語は上手です。私にはあなたのニホン語の漢字が謎々に見える」

 先生は頭を振った。

「先生、漢字はニホン語ではありません。チャイナ語です。チャイナ語のニホン形です」

「そうでした。ニホン人はこの漢字をたくさん覚えます。千? 二千? これは格変化より多くありませんか?」

「たしかに・・・」

 あれから三か月が経った。要塞のようだった言語の壁はベニヤ板くらいになった。しかし、ドイツ語風の性変化と格変化は依然として高いハードルだった。

 しかしながら、漢字、平仮名、カタカナ、アルファベット、英数字、半角、全角、絵文字顔文字うんぬんかんぬんが混在するニホン語よりこのナグジェ語は圧倒的にシンプルだ。いや、正確にはアミカル語のナグジェ訛りだが。

 現在のぼくの立場は保護観察付きの特例的外国人滞在者だ。住所はナグジェ市十三区タンタン通りバスラ神殿付属宿舎の五号室のタロッケス・ヤダムである・・・この発音の方が現地に馴染む。

 ナグジェの初日を安宿で過ごしたこのタロッケスさんは即座に金策に行き詰って、ホームレス生活を試みた。しかし、この微妙にこぎれいな身なりと珍妙の神器のせいで訝しがられて、現地の生え抜きのプロに全く太刀打ちできなかった。結果、駆け込み寺への逃走が現実となった。

 ナグジェの一般的な宗教は多神教である。つまり、宗教施設の妥当な表記は『寺』や『教会』ではなく、『神社』か『神殿』だ。バスラのような神殿はさしずめ『婆衆羅大社』だ。境内は禁欲的な堅苦しい場でなく、開放的で雑多な空間だ。そんなところも日本の都市部の神社にそっくりである。

 で、物乞い合戦に惨敗したタロッケスは神社の無料の炊き出しを巡回したり、たまに社務所の軒先を借りたり、旅人のキャンプに便乗したり、そのへんのベンチで寝たり、あんなこんなの過程を経て、最終的にこのバスラ神殿の宿坊に落ち着いた。

 放浪中のぴりっとした場面は当局の拘束だけだった。一度、ぼくは衛兵にしょっ引かれた。異質な風体と未知の機械が逮捕の理由のようだった。

 しかし、それは別に犯罪でない。この人物は不審者ではあるが、それだけである。地元の貧民や難民にはさらさら見えない。この顔形と風体は『遠い異国からの旅人』に準じる。仮にこの珍妙な風情の外国人が学者や商人や役人や巡礼や貴族及びその関係者であれば、うかつな処分は外交問題に発展しかねない。まず、立場と目的をはっきりさせよう。

 このような見解で進行するのが当局の思考というものだ。お上はやぶ蛇を突かない。事実、ぼくをしょっ引いた衛兵や調査官はこの不審者の扱いに困惑した。

 条件の打破に貢献したのは意外なアイテムだった。メモとペンと紙幣だ。ぼくは読み書きのアピールのために筆記用具を出して、前のページを見せたり、にわか仕込みのナグジェ語の文字を書いたりした。相手は筆記の技量にはとくに驚かなかったが、メモ用紙のページの薄さとボールペンにいたく感心した。そして、千円札の肖像画の精密さと紙質のクオリティが答えを出した。

「おお、こちらはえらい学者さんだ!」

 そんなニュアンスの発言があったか、なかったか。その後で少々のたらい回しがあって、解放という名の厄介払いが決定した。結果、ぼくはバスラ神殿の加護にあずかり、先生・・・神主さんとの簡単な面談を得て、巡礼者用の宿坊の一室を貸し与えられた。

 現地の言葉や常識を学ぶのにこのバスラ神殿は理想的な場所だった。なぜならバスラは知恵と学問の神さまだから。学業成就のお守りは人気ナンバーワンの売れ筋だ。境内には町民向けの寺子屋があり、希望者は自由に参加できる。ぼくはここの初等科に参加して、ナグジェ語の読み書きを一から習った。

 宿と飯のお礼は主に掃除、雑用、庶務、学童の世話だった。この延長でぼくは自転車教室を開催して、ちびっ子や巫女さんたちの人気を集めた。これで数名の自転車乗りがこの街に誕生した。ナグジェ市サイクリング倶楽部の夜明けである。

ニホン人のお悩み相談

 夕飯の時間は神主さんの個人授業だ。ぼくが無理を言って、毎度相席をお願いする。こちらへのお礼の品は予備のボールペンだ。先生はこの無尽蔵文字製造機に歓喜した。

「これはほんとにすごいペンだ。ほとんど魔法ですよ」

 ナグジェの神官は羊皮紙の切れ端にナグジェ語をさらさら書いて、魔法のペンにうっとりした。

「それはニホンのズィーパンでは普通の道具です。決め手は小さい鉄の球と粘っこい墨ですね」

 ぼくは何度目かの科学的な説明を繰り返した。

「あなたの国の文明は高度ですね。ナグジェ人はこんなに小さい球を作れない」

「うーん、たぶんそれはチャイナ製ですが、ニホン人はたしかに器用です」

「たしかにそうです。不器用な人はあんな乗り物にうまく乗れません」

 この理知的な神主さんはぼくと同年代の渋い男前で、インテリで、学者で、冒険家で、祭司だった。もともと地方のヤンチャな青年だったが、各国を冒険して、巡礼にハマって、一から勉強しなおして、神官になった。

 そんな特殊な経歴は観光地であり交易地であり大都市であるナグジェの神殿の役職にはぴったりである。子供、巡礼、難民、旅人の扱いはお手の物だし、頭の切れは御覧の通りだ。唯一の欠点は議論好きで、しばしば理屈でやりこめようとするところだ。

「ところで、オズはどうなりましたか?」

 ぼくは尋ねた。

「オズ? それは『だれ』のオズです?」

 先生は聞き返した。

「もちろん、『ぼく』のオズです」

 所有形容詞をすっ飛ばしたぼくは苦笑いしながら言い直した。

「あなたは優秀です。オズ・・・そう、あなたのお国では『ヴィーザ』ですね」

「先生、その発音はアメリカでは通じますが、ニホンでは通じません」

「はいはい、タロッケス教授。あなたのオズはですね・・・」

 先生はだいたいこんな感じだ。普段の評価には甘さを見せしつつ、テストを細かくチェックするタイプである、きっと。

 このナグジェ人の言葉のように『オズ』はビザないしパスポートにあたる。非ナグジェ市民は基本的にこの書類なしでは就労や商売には関われない。種類は観光用、巡礼用、学生用、就労用、ビジネス用、外交用などがある。まさにビザ、ヴィザ、ヴィーザだ。

「・・・ほら、これはなんでしょう?」

 先生は机の下から手紙ぐらいの紙切れを取り出し、ぼくの前でひらひらさせた。

「オズだ! ぼくのオズ! ヴィーザ!」

「では、お代を頂けますか? 五スーンです」

「え、金を取るの? それはバスラの神の名にもとりません?!」

 ただ飯とただ宿に慣れたぼくは意外な要求に動揺した。

「もちろん、私は神の名のもとに活動します。しかし、この件は私の個人的な手助けです」

「払えませんよ。そもそも、外国人は許可証なしで働けない、お金を貰えない」

「托鉢は労働ではありません」

「あれは無理です。本職の方々が強すぎる」

「後払いという概念はニホンにありませんか?」

「え、後払いで構いません? 三スーンですっけ?」

「五スーンです」

 先生は散々に焦らして、羊皮紙の書類をぼくに寄越した。待望のナグジェの滞在ビザだ。手触りはなめらかで柔らかだ。色は薄いクリーム色、まんまの生の皮だ。

「観光用ですか?」

 ぼくはナグジェ語の表記を読んだ。

「はい、私の経験ではそれが最も一般的です。商人用や特別用の発行には時間がかかりますしね」

「ナグジェ市民じゃない外国人はこれで働けますか? 二ホンやアメリカでは観光用では働けませんが」

「働けますよ。昔、私はそれでいろいろやりました、引っ越しとかミカン農園の手伝いとか酒場の用心棒とか。もちろん、役所の事務員や宮殿の衛兵にはなれませんが」

「肉体労働や短期の仕事はだいたい大丈夫ですね?」

「ええ、今は秋の収穫期ですから、農家は人手不足ですよ。ぶどうがちょうど旬ですね」

 先生は酒を継ぎ足した。

「ほんとにここの人は酒を水みたいに飲みますよね」

「ニホン人は酒を飲まずして何を飲みます?」

「牛乳」

「牛乳!」

「でも、新鮮なものがなかなかこっちまで出回らない」

「あれは牧場の飲み物です。町の人はあれを飲み物とは考えません。チーズやバターの材料です」

「同じくニホン人は運転しながらエールやワインを飲みません。毎日の食事、喉の渇き、お祭り、お祝いの席、冠婚葬祭、すべてに牛乳をがぶ飲みします」

「腹の中でチーズができる・・・あ、ということは、タロさんはあのバイクを使って何かします? 運転って言いましたよね?」

「ユリオン・ヴィーツ」

「はい?」

「ユリオン・ヴィーツをよろしくお願いします」
 
 ぼくはズィーパン式に一礼した。

ユリオン・ヴィーツの利用規約

 観光ビザの旗印の元にタロッケスとゼルマールのユリオン・ヴィーツがついにナグジェで正式に始動した。

 この素晴らしきサービスの全容はこちらだ。

 タロッスケさんが
 料理や日常品を
 自転車で 
 運ぶ

 すなわち、『出前』である。堅い言葉では『運送』だ。サービス名の『ユリオン・ヴィーツ』は特定の意味を持たない造語である。世間に出前や運送と気付かれないための工夫だ。

 実際問題、当社は今回の本格稼働に先んじて、一か月前から試験運用を開始した。これは昨日今日の突飛な思い付きではない。段階的な工程と実績の末のスタートである。以下が主な経緯だ。

 一週目、ナグジェ市内をサイクリングしながら土地勘を鍛える
 二週目、広場、神殿、商店街などの要所を押さえて、エリアとルートを練る
 三週目、地元の馬、荷車、荷馬車などの競合の動向を調査する
 四週目、お試し期間を設け、格安で料理や荷物を運搬する

 完全な事業計画だった。そして、副次的にこの都市の地理、規模、商業、産業、文化、宗教などがぼくの体験と一体化して、現実の血肉となった。郷に入りては郷に従え、習うより慣れろ、身体で覚えろ、足で稼げ、これらは全く非常に正解である。

 当社のようなサービスに最も重要な項目は都市の規模と人口だ。ぼくらは自慢の機動力を活かして、町から街へ、道から通りへ、都心から郊外へと走り回って、ナグジェの全容を掴んだ。総走行距離ざっと千キロの実地調査で一区から十区までの都心が五キロ、十一区から二十区までの市内が十キロ、市外広域が二十キロで、これらがサロロ川を中心にして円状に広がった。

 当市の人口の実態は少しぼやけるが、面積約二十キロ平方メートルの旧市街、『ガラ・ナグジェ』の建物の密集と活気はニホンの都心エリアとほとんど変わらない。ここの住人だけで二十万人前後でないか。もちろん、日中には周辺からの流入があるから、活動人口はこれを優に上回る。とにかく、出前、配送、商売には十分な条件だ。
 
 このお試し期間でいくらかの小銭は溜まった。観光ビザの代金の五スーンはもうあった。が、しかし、小規模な個人事業の初期の資金は非常に大事だ。たとえば・・・そう、郊外の農家で三スーンの野菜を仕入れて、ナグジェの市場で売れば四スーンほどを稼げるし、余りものをバスラさまに寄付できる。

 ただし、生鮮食品の物販は賞味期限と在庫リスクとの戦いだ。冷蔵庫というこじゃれた物は当市にはない。大きな荷物はゼロ丸に乗らない。キノコ、ベリー、豆、木の実、香草、栗は可、カボチャは不可だ。とくにナッツと栗は良い商材だ。焼き栗は焼き芋並みに儲かる。ちなみに、芋類はこの地ではレアな珍味だ。

 そして、本格的な行商には運搬車両の積載量が物足りない。ゼロ丸にはかごや荷台がない。この子は本質的に山遊び用である。補助パーツはベルだけだ。サイクルトレーラーみたいな荷車を車体に接続すれば容量を増やせるが、ぼくはそんなものの販売店を知らないし、そもそもおそらく買えない。ナグジェの物価はお高めで、賃金はお安めである

 これらの積極的、消極的な考察からチャリ出前こそはぼくらの門出に相応しい生業だった。経験は豊富だ。たろすけ氏の前世は牛乳配達員だった。

 ところで、現代型の出前や配送にはデジタルデバイスは不可欠だが、このユリオン・ヴィーツではそれは規約違反だ。ゼロ丸のアシスト、スマホの電源、いずれが常にオフだ。スイッチを押せるのは一時間に一回だけだ。

 もちろん、これはバッテリーの残量に起因する。ゼロ丸の胃袋はすでに四十二パーセントしかない。電気の消費はかなり節約されるが、自然放電という厄介な現象がある。一か月で五から八パーセントが勝手に失われてしまう。使うと減る、使わなくても減る、じゃ使うかといって使うとさらに減る。悩ましい問題だ。

 スマホの使用は激減した。ニホンの数値はナグジェには合わない。文字が違う、記号が違う、数の数え方が違う、時間感覚が違う。ナグジェ人は時間におおらかだ。分秒単位でせかせか動かない。極め付きに一日の長さが物理的に違う。こっちの一日は二十三時間五十五分ぐらいだ。この三か月で時差が八時間ほど広がった。またまたスマホがぶんちんに近付いた。

 そんなこんなで、タロッケスとゼルマールの古風な出前業改めユリオン・ヴィーツが正式にスタートした。ぼくは小さな旗をハンドルに取り付け、「はやいよ、やすいよ、うまいよ」とナグジェ語で囃し立てつつ、ちりんちりんとベルを鳴らしながら走り出した。

小雨の午後の水辺の出会い

 ユリオン・ヴィーツの記念の一件目は肉屋の配送の手伝いだった。これは悪い案件でなかったが、納品先で搬入と荷受けの補助があった。

「うちの配送は軒下渡しまでですよ? これは業務外ですよ? しかも階段だ! これは追加料金ですぜ?」

 ぼくはこれをぶうぶう主張したが、まあまあの一言で押し切られた。そして、報酬は素の値段、二トーズだった。当社の秘密のブラックリストに肉屋の名前が加わった。

 この後、ちょろちょろと小口のオーダーが入って、昼までの売上は五トーズになった。約五百円だ。飲み物代とおやつ代で消えてしまう。当市の庶民のエンゲル係数は強烈である。建設現場や道路工事の日雇いの方がマシだ? しかし、がちがちのブルーカラーの丸一日の手当てが一スーンだ。報酬はそう優劣しない。あと、力仕事の体育会のノリがぼくの性に合わない。君子は乗り物と脳筋には近寄らない。

 それから、飲食の配送、純粋な『出前』の需要は当市では一般的ではない。食費に配送費が加わると、庶民の財布が溶けてしまう。「お店のようなほかほかのおいしい料理をお届けします!」という売り文句は通じない。パン、ハム、チーズ、ぬるいビールのセットのどこにほかほかの要素があるか?

 そんな事情から出前の案件はまれで、物品の配送が主だ。店から店、業者から業者。これには高確率で搬入や雑用が後付けで加わる。それは当社の業務の範疇ではない。まさにニホン式のサービス残業だ。そういういかがわしいことをロハでやる精神はプロの辞書には存在しない。対価をきちんと頂くのが玄人であり、搬入の商品から自主的な現物支給をこっそり行うのが達人である。

 結果的にぼくは食うには困らないが、稼ぐにはやや苦戦する。アパートの敷金礼金前払いの百スーンが無限の旅路のように思える。

「あー、空から金が降ってこないかな?」

 ぼくは川沿いのベンチに腰掛け、朝のパンののこりとベーコンをもぐもぐ食べながら、ナグジェの秋の空を見上げた。あいにく金の雨は降らず、水の雨がぽつぽつ降って来た。ナグジェの街並みと石畳がしっとり濡れて、川面がさざめいた。詩情がひとしおだ。気分はもうヴェルレーヌかロンサーヌである。

「あー、この人だ。ようやく会えた」

 そんな台詞がにわか詩人を現実に引き戻した。

「ぼく?」

 ぼくはぎくっと驚いて、背後を振り返った。一人の青年がベンチのそばにいた。二十半ばの優男風のおしゃれな男だった。

「ええ、あなたですよ、お兄さん。そんな乗り物で走り回るのはお兄さんだけだ」

 青年は服の水滴を払いのけながら東屋の中に入って、ぼくとゼロ丸を交互に見つめた。

「お兄さんね。ぼくはきみのような若い弟を知らんけどな」

 アラフォーは些細な言葉の綾に拘って、妙に気さくな相手に言い返した。

「あなたは有名人ですよ。謎の乗り物で走り回る謎の人だ。というか、おれの言葉が分かりますか?」

「言葉は分かるが、意図は分からん」

「へえ、意外だ。ナグジェ語がわりと上手だ。外国の方ですよね?」
 
 青年は厚かましい積極性でぼくにぐいぐい迫った。

「ほれ」

 ぼくはリュックから観光ビザを取り出して、それを相手の鼻先に突き付けた。

「ほう、タロッケス・ヤダムさん。ニホン・ズィーパンという国の方だ。おお、観光ですか。我がナグジェへよくぞいらしゃいました!」

 青年は冗談めかして言いながら、上品に会釈した。

「きみは地元の子だ?」

「そうです。ナグジェ生まれ、ナグジェ育ちです」

「あ、もしや、お仕事のご依頼ですか?」
 
 ぼくは姿勢を正した。

「いや、そうじゃない。おれはあなたに会いに来ました」

 青年はそう言いながら、ゼロ丸をちらちら見た。ぼくは理解した。この男の真の目当てはこのお兄さんではなかった。

「いやいや、全くそうじゃない。きみの本命はこいつだ」

 ぼくはゼロ丸を軟派男の目から隠した。

「あ! 分かります? そのステキな乗り物は何です?」

「ステキ?」

「ステキもステキ。ほら、そう、おれの目はたしかだ。その機械の加工精度は尋常じゃない」

 青年はぼくをぐるっと回り込んで、ゼロ丸のギア部分を覗き込んだ。

「きみは何者だ?」

「失敬! おれはベインと申します」

 青年は態度を改めて、流麗な所作で名乗った。身なりとオーラはそこらの庶民や平民よりぜんぜん上等だった。

「貴族の旦那?」

「ははは、お世辞が上手だな。おれは鍛冶屋の息子です・・・いや、親父が死んじゃったから、おれが大将だったわ、ははは」

「鍛冶屋? 職人さん?」

 ぼくは素直にへえと感心して、この人物に一抹の興味と一筋の予感を覚えた。

歯車の運命

「なんで親父さんは死んだ?」

 ぼくは若店主にたずねた。

「山へ鹿狩りに出かけて、落馬して死にました」

「それはお気の毒だ」

 ぼくは『落馬』という言葉にどきっとした。

「アホですよ! まあ、うちの親父らしいあっぱれな死に方だ」

 ベインくんはすがすがしく笑った。

「きみの店はどこにある?」

「うちの店は八区にあります」

「旧市街の八区?」

「新市街に八区がありますか? あ、もしや、タロさんは知りませんか? ナグジェの旧市街の住所は一から十区まででして、そこがこの都市の中心、すなわち、この世界の中心でしてね」

「どおりで都会の匂いがプンプンする。しかし、八区はここからけっこう遠くないか?」

 ぼくは市内の地図を頭に思い浮かべて、ルートを引いた。八区までの距離は二キロ、時間は徒歩で三十分、チャリで十五分と出た。

「ええ、歩きでこっちまで来るのはけっこう大変ですよ。足が棒だ」

 世界の中心の住人さまは太腿をとんとん叩いて、ぼくの隣にどすんと腰掛けると、真剣なまなざしでゼロ丸を凝視した。

「乗る?」

 ぼくは苦笑しながら聞いた。

「え! ほんとに? やった!」

 青年は少年のように浮かれた。晴れやかな気持ちの分かりやすさはこの若者の美点だった。

 即席の自転車教室が始まった。ぼくは基本操作だけを教えて、ゼロ丸を生徒に渡した。ベインはこれに颯爽とまたがったが、ペダルをうまく回せず、キックバイクの要領であたふたと進んで、通りの角でくるっと回り、ばたばたと戻って来た。

「なんだ、この乗り物は?!」

「これが自転車です」

 ぼくは師匠の風体でつぶやいた。ベインは上の空で聞き流して、ハンドルの動きやクランクの回りを入念にチェックし、乗ったり下りたりを繰り返して、なにやらぶつぶつ呟いた。

「これは前回りでは連動するが、後ろ回りでは連動しない。この車輪に秘密があるのか・・・しかし、このチェーンの数とギアの歯の細かさは異常だ。時計の部品並みだぞ。そして、この回転の滑らかさはどうだ?」

「どうだ?」

 ぼくは言葉尻を捕まえた。ベインははっと我に返った。

「これはマジですごい機械ですよ。ただのおもちゃじゃない。高度な技術のかたまりだ。この空回りの仕組みを教えてくれませんか?」

「質問が職人だな。ちょっと待てよ」

 ぼくは携帯工具を取り出して、車体から後輪を手早く取り外し、車軸のギアユニットをすぽっと引っこ抜いて、フリーホイールとラチェット機構を見せた。鍛冶屋はしばらくこれを見て、最終的にあっと唸った。

「そうか、この逆向きの爪が前回りでは起きて、後ろ回りでは寝て・・・車軸のここの切り込みにこの爪が掛かるから、順回転では前側の装置が連動するが、逆回転ではしない・・・これはえらい仕組みですよ」

「ぼくの解説なしで良く分かるな?」
 
 ぼくは若者の理解力に驚いた。

「時計の部品にこれと似たものがある。でも、乗り物に使う発想は斬新だ」

「しまうよ」

「あ! もう少し見せて!」

「しまいます」

 ぼくは彼のおねだりを無視して、後輪をゼロ丸に戻した。

「タロさんはしばらくこの街にいますか? どこかへすぐに出発する?」

 ベインくんは唐突に尋ねた。

「うん、ぼくはしばらくここにいるよ。資金を使い果たして、動こうにも動けないしね」

「おれと組みましょう」

「突然だな?!」

 ぼくはびっくりした。
 
「あなたとその乗り物は神の使いです。この鍛冶屋の倅の前に良くいらっしゃいました」

「冗談ではない?」

「おれは本気です」

「どういういきさつ?」

「親父が死んで、代が替わった。じゃあ、どうです? おれが先代と同じレベルでやっても、あの人より評価されませんよ。それはおもしろくない。おれは『これはおれの仕事だ』と胸張って言える何か新しいことをしなけりゃならない」

 若き職人は熱烈にまくし立てた。

「全くそのとおり」

 ぼくは清々しい言葉に茫然と感動した。

「おれはその乗り物を見たときにびびっと来ましたよ。一目ぼれです。これは運命だ」

「バスラ神の導きだ」

「そうです! おれと組みましょう。悪いようにはしません」

「うーん」

「おれは怪しいものじゃありません。タロさんのお時間を頂けるなら、これからうちの店に案内しますよ」

「うーん・・・正直に言おう。きみこそが神の使いだ」

 ぼくは神妙な調子で言葉を返した。

「はい?」

 ベインは驚いた。

「自転車の普及には協力者が不可欠だ。きみはぼくらを見て、ゼロ丸に興味を持ち、わざわざ足を運んでくれた。それは普通の行動じゃない。炎のような好奇心と情熱のあかしだ。しかも、きみは車輪の構造を一目で理解した。ぼくはその足とその目を信じる。よろしく頼む、ベイン」

 ぼくは手を差し伸べた。

「おお! よろしく頼みます!」

 ベインはぼくの手をがっちり握った。優男に不似合いな職人の手だった。

 かくしてバスラの導きのもとに誓いが結ばれ、偉大な同盟が誕生した。

定休日の鍛冶屋で

 小雨の午後の運命的な出会いから一週間後のこと、ぼくはナグジェの第八区へ訪れた。この界隈は市内屈指の商工業区域だった。店舗、工房、倉庫、銀行などが数多くある。とくに工作現場の物々しい音と水路の護岸の動力用の水車は八区の風物詩だ。

 ぼくはベインの店を探しながら、軒先の商品や作業の様子を冷かして、当地の産業をじっくり見学した。

「小型の火器っぽいものは見当たらない? やはり、技術の水準は中世からルネサンスですかね? 暗黒時代やスチームパンクでないのはたしかですが?」

 職業病的な時代考証は友人の登場で幕切れした。視線のさきの建物から出てきたのがベインくんだった。

「あ! 師匠、こっちです!」

 若き店主はぼくを見つけて、元気な声で呼びかけた。彼の自転車の師匠は大げさな呼称にむずむずしながら、ゼロ丸のハンドルをそちらに切った。

「今日はいい天気だな。でも、この辺の空気はなんかきな臭い感じだな。気のせいか?」

「鍛冶屋が炉を使うからね。でも、今日はぜんぜん少し静かだよ。店の大半は休みだし」

 ベインはフランクな様子で言った。

「きみのところは?」

「うちも休みですよ。週末はレデル工房の定休日です」

「へー、立派な店だねえ。この作業場は最高だなあ」

 ぼくは羨望の眼差しで建物を眺めた。この若き友人の本拠は店舗、工房、倉庫の一体型の施設だった。屋号の『レデル』は彼の姓で、ベインは三代目の店主である。老舗のぼんぼん・・・という評価は当たらない。フリーホイールの構造を一発で理解した彼の目利きは本物だった。
 
 レデル工房の構えは自転車乗りに非常に親切だった。平屋の店舗とオープンガレージ風の作業場が隣接する構造は自転車屋やオートバイ屋にそっくりだ。石畳の車道から軒下のフロアへのピットインがすごく捗る。

「こっちが店です」

 若社長は店舗の扉を開けた。売り物は多彩だった。鍋や包丁などの調理器具、のこぎりや金槌のような工具、ナイフやサーベルみたいな武具等々の金物全般が冷やかし客の目を楽しませた。

「これはプレートアーマーってやつだな?」

 ぼくはぴかぴかの甲冑の一式を見ながら呟いた。

「それはおれの祖父さんの力作です。安くしますよ?」

 ベインは笑いながら応じた。

「いくら?」

「うーん、友達価格でこんくらいはどうです?」

 社長の手がぱっと開いて、「五」が提示された。

「五スーン?」

「ははは、五ブーリです」

「ブーリ? ということは・・・五百万だあ!?」

 ぼくは焦った。

「ゴヒャクマンダーってなに? で、どうです? お買い得ですよ?」

「買えんわ。そもそも、こういう鎧は一点物の特注品だ。誰もが普通に使える鍋みたいな汎用品じゃない。だれかの専用の製品だ」

「へへへ、博学ですなあ、師匠」

「ほいで、これはどこのお殿様のご依頼でっか?」

 ぼくはナニワの商人風に言った。

「いや、まあ、それは売りもんじゃなくて、ただの展示品でね。この平和な時代にそんなごつい鎧を注文する殿様がもういませんわ。良い出来だけどなあ・・・」

 ベインはそう言って、鎧の肩のほこりを払った。

「典型的な不良在庫だな。これをよけて売り筋を置くのが正解だ。売り場面積は無限でないからな」

「それは無理だ」

「なんで?」

「母さんが嫌がる。母さんは祖父さんの娘だ。つまり、これはレデル家の思い出の品だ」

「お母さんはここにいないの?」
 
 ぼくはきょろきょろした。 

「母さんは家にいる。こっちにはたまにしか来ない」

「きっと美人だ?」

「なんでそう思う?」

 ベインは聞き返した。

「きみが男前だから」

「はっ! 紹介しようか? でも、タロさんより年上のおばちゃんだぜ?」

「ぼくはぜんぜん構いません」

「物好きだなあ」

「ほかの従業員はいない?」

「通いの人と手伝いの人がいるよ」

「職人はきみだけだ? 人手は足りるか?」

「正直、ちょっと人手不足だ。代替わりのときにうちの兄弟子が独立しちゃってさ」

「なんか揉めた? 女性関係?」

 ぼくは男前に詰め寄った。

「ただの独立です。それは前からの予定だったしね。でも、おれがおれのやり方で一からやれると思えば、この状況はそんなに悪いもんじゃない。新しい試みをことごとく毛嫌いする誰かさんももういないしね」

 ベインは少ししんみりした。

「ふうん、老舗のぼんぼんもけっこう大変だな」

「あ! それを面と向かってはっきり言う? ぼんぼんは禁句ですよ、おっさん」

「はははは! このおっさんはまさにおっさんだが、若もんやぼんぼんには負けんぞ。十三区からここまで十分で着いた」

 ぼくは胸を張って、ベルを鳴らした。

「ほんとに無茶苦茶な速さだな」

「いい近道を見つけた。明日から通えますぜ、社長?」

「検討します」

 ぼくらは絶妙な掛け合いをしながら、建物の奥へ進んだ。

ドライブ・ドライブ・ドライブ

 レデル家の自社物件の奥まった区画、そこが鍛冶屋の真骨頂だった。炉、ふいご、金床、ハンマー、やっとこ、水桶、砥石などなどのステキな工具の一個師団がぼくらを迎えた。

 そのツール類のなかでぼくの心を一際に捉えたのは裏手の水路側の壁に設置された大きな装置だった。

「水車ドライブだ」

 ぼくは棒と紐と歯車の複雑な伝動装置を見ながら呟いた。

「タロさんはおれのことを言えないよな。機械を見るあんたの目はちょっと病的だよ」

 ベインは言った。

「このシャフトやギアはきみのお手製か?」

「おれや親父や祖父さんの合作ですね。おれが作ったのはそこのギザギザだったかな?」

「どのギザギザだよ。じゃ、金属加工は得意だ?」

「まあね、鍛冶屋だしね」

「じゃ、おまえはこれを作れるか?」

 ぼくはゼロ丸の後輪のギアを差した。ベインは仁王立ちになり、ギザギザをにらんだ。

「そう、それだ! この作りは明らかに異常だ。歯が左右対称でないし、形が一つ飛ばしで違う。こんなめんどくさい加工になんの意味がある?」

「変速のしやすさのためだったかな?」

「このチェーンもそうだ。ただの単純な輪っかの繋ぎじゃない。小さいピンと小さいプレートの集合体だ。一体、これが何個ある?」

 職人は律儀にチェーンのコマを数え始めた。

「百八だったかな?」

「頭が痛くなる。これを作れるのはどんな技術者だ? まさか、タロさんの自作じゃないよな?」

「ぼくはただの乗り手だ。作り手は別にいる」

「その人を紹介してくれ。おれは店を閉めて、修行に行く」

「ニホンは世界の果てにある。ぼくが無事に帰れるかさえ分からない」

「じゃあ、そこからあんたはどうやって来たの?」

「気合と根性で」

「うーん、そのへんが嘘くさく聞こえるな」

 ベインは疑惑の眼差しをこちらに向けた。

「嘘じゃないさ。ゼロ丸の走行性能は馬や馬車をゆうに越える。ぼくらが本気を出せば、世界の果てまで行けるさ!」

 ぼくはゼロ丸の肩を叩きながら啖呵を切った。

「たしかにそいつの性能は化け物だ。この柔らかいタイヤも意味不明だ」

 職人はゼロ丸のフロントタイヤをにぎにぎした。

「きみはこのギアやチェーンを作れるか?」

「作れますよ」

「ほう? 強気だな」

「作れますが、作りません」

「金にならないから?」

「そのとおり。ほかの仕事を休んで、その制作だけに完全に集中すれば、一年か二年で作れます、作ってみせます」

 職人は熱い口調で宣言した。

「じゃ、頼む」

「うーん、タロさんはおれの一年分の給料を払えますか?」

 社長はふと経営者になって、現実的なことを言った。

「そんな金を払えるやつがせせこましい使い走りのバイトをするか? ぼくは助言しか出来んぞ」

「うーん、おれも商売人だからなあ。本業をほったらかしには出来ないよ」

「じゃ、どうする? 諦めるか?」

「そうねえ・・・おれは試作には『市販品で近いものを作れないか?』と考えますね。たとえば、このチェーンを何かで代用できないか?」

 ベインは水車ドライブのローラーとベルトを見た。

「ベルトドライブね。シンプルな形状だ。大昔のオートバイのドライブはこれだった。でも、革は濡れると滑るし伸びる。湿度や温度ですぐに劣化する。結果、掛かりが浅くなる」

「はあ、そのあたりの知識はやたら専門的ですね」

「ぼくのおすすめはシャフトドライブだ。この水車ドライブの構造、これを小さくすれば、まんま自転車に使える」

 ぼくは水車のシャフトの流れを指で辿りながら言った。

「うーん、構造はそうだ・・・問題はコストだ・・・」

 若き店主は神妙な面持ちになった。

「じゃあ、大将、現実的な路線で行きますか」

 ぼくは若社長の思考から現実的なそろばん勘定を取り除くために一枚のメモを取り出した。

「ん? なに? 台車?」

 ベインは図面を怪訝に見つめた。

「これは『ドライジーネ』だ。二輪の乗り物、バイクの源流だ」

「ドライブがないけど?」

「ここにまたがって、地面を蹴って進む」

 ぼくは図面のサドルを指でとんとんした。

「構造が一気にしょぼくなった」

「それはきみの色眼鏡だ。二つの車輪を縦に並べる発想が凡人の頭に閃くか?」

「何で三輪じゃないの?」

「車体が嵩張るし、重くなる。三輪は凡人の発想だ」

「むう」

「二つの車輪で自立して自走できることを世に知らしめたのがこれだ。しかも、発明者は職人や鍛冶屋じゃない。素人が自力で作った」

「へえ?」

 玄人はその言葉にぴくっと反応した。

「そして、このキックバイクは初心者や子供の自転車への練習台として愛用される。このナグジェに自転車を広めるいしずえには最適の機械だ。さて、凄腕の鍛冶屋さん、あなたはこれを作れますか?」

「そうね・・・一か月」

 若き職人は図面や水車やゼロ丸をあれこれ見た後でぼそっと言った。

「聞いたぞ?」

「うん、言っちまった。ああ、うまく乗せられちまった! でも、あんたの話はもっともだ。ゼロ丸はおれの手に負えんが、このドライジーネはどうにか・・・なに、この薄い紙?!」

 ベインはそこでようやくメモ用紙の薄さに気付いて目を丸くした。この若き好漢の株がぼくの中でまた一つ上がった。

バック・トゥ・ザ・ドライジーネ

 ダンディホース
 ボーンシェイカー
 ロードブロッカー
 ケッタマシーン

 いずれが自転車の綽名である。この中ではとくに『ボーンシェイカー』の字面が強烈だ。その名のとおりに『骨を揺らすもの』はペダル付きバイクの元祖的な存在であり、その印象的な二つ名で正式名称の『ミショー式自転車』ないし『ヴェロシペード』を歴史の彼方に葬り去る。

 古風な石畳のパヴェとソリッドな木製ホイール、この二つの組み合わせから生まれるのは壮絶な乗り心地である。とどのつまりは骨ぐらぐらマシーン、奥歯がたがたシステムだ。そして、この不愉快な『ボーンシェイカー』のせいでダンロップさんの息子が頭痛を起こし、過保護な親父さんの手で空気入りタイヤが生まれた。

 現代型の乗り物が滑らかに進むのはアスファルト舗装と空気入りゴムタイヤのおかげだ。どちらかが欠けても、乗り心地が急激に落ちる。ニコイチである。

 たとえば、敬虔なスケートボーダーはアスファルトでは板に乗らない。スケボーのタイヤはウレタン系のソリッドタイヤだ。まあ、厳密にはスケボーの足元は『ウィール』だが、これはアスファルト舗装の砕石の小さなノイズを拾ってしまう。ソリッドタイヤの宿命である。

 ナグジェの道路は石畳みのパヴェだ。これのコンディションは既出のとおりである。完璧にフラットな路面はめったに見当たらない。

 必然的にアスファルトもゴムタイヤもない当地で生まれるものは『ボーンシェイカー』の正統的な後継者となる。

 革でタイヤを作る
 コルクでリムを作る
 車体にサスペンションを付ける
 パッド入りのズボンとグローブを着用する

 ぼくとベインは以上のようなことを検討したが、最終的に作りやすさと費用の安さを優先して、試作機の決定稿を出した。

 ペダル、クランク、ドライブはなし 
 車体は木製
 車軸は鉄製
 車輪は馬車用の改良品
 ホイールは前後同径  
 重量は十五キロ以内
 一か月で作れるもの
 
 ポイントはホイールのサイズだ。ぼくらは市内の石畳の段差を測りまくり、馬車の車輪の大きさを調べまくって、適切な数値を検証した。結果が五十センチだった。これより小径の木製ホイールはナグジェの道路環境では『ボーンクラッシャー』になってしまう。

 ある日の実験がある。タロッケス先生は町に出かけて、小さな車輪の手押し車にそこらへんの悪ガキを乗せて、石畳の舗装路をごりごり突っ走った。少年は最初にこそ喜んだが、ものの数分で乗り物酔いにかかり、青白い顔でリタイアした。かように小さな車輪は段差には不利だ。

 他方、大型の車輪はスピードと走破性を強化するが、軽さと機動性には全く貢献しない。十九世紀末のペニーファージング型自転車が好例である。この超巨大フロントホイールのバイクは歩行者から敵視され、『道路の妨害者』の汚名を着せられた。実際、これは自転車の歴史の中で最も危険な車体である。でかい、速い、重い、止まらない。

 最後の決め手はぼくの記憶だった。ナニワのサカイの自転車博物館にあったドライジーネの実機の車輪は意外と小ぶりなウッドホイールだった・・・ような記憶がゆらゆらと蘇った。少なくとも、一メートルや二メートルの超大型車輪ではなかった。

 これは当然だ。ドライジーネはキックバイクだ。動力は足である。乗り手は地面をキックして、推進力を得る。つまり、足は常に地面に届かなければならない。

 ホイールが大きくなると、車体が大きくなり、車高が上がり、座席が高くなる。実際問題、ファニーページング型自転車にはサドルへ上るための階段がある。乗車位置から足は地面に全く届かない。

「おっちゃんは立つと普通やけど、座ると大きゅうなるなあ」

 この屈辱的な台詞は親戚のお子さまの純粋な発言だった。そう、胴長短足のぼくの股下は過不足なく七十二センチメートルだった。この股下は靴の厚みで七十半ばになっても、八十センチには決してならない!

 ここからの逆算でサドルの位置が決まり、車高が決まり、ホイールサイズが決まる。車体のフレームの部分のマージンを考えると、そんなに大きな車輪を採用できない。

 運よくこの五十センチ前後の車輪はナグジェ市のスタンダードな馬車のホイールの規格と一致する。パーツの入手のしやすさは今後の量産に繋がるし、ベインくんのやる気をスポイルしない。

 ということで、ぼくらの一か月自転車作成計画は遠い夢物語から現実的な事業計画へ近づいた。ぼくもベインも納期には敏感だった。とりあえず、一個目をすばやく形にしないと冷めてしまう。一年後のチャリより一か月後のドライジーネである。

四年に一度の祭りの話

 季節は秋、ドライジーネの秋、実りの秋、サイクリングの秋。ナグジェ郊外の畑や森がうまいものをたくさん生やす。田園地帯の村や町は収穫祭で賑わい、遠足デーの出費が買い食いでちゃりんちゃりんと加速する。農村で食うジャムとチーズとクリームとグリルとキノコとミルクは格別だ。最近、ヤダム氏のエンゲル係数が八十パーセントを越えた。

 この秋の盛りには都心部より田園地帯の仕事の需要が旺盛だ。収穫のお手伝いは金と身になる。まあ、ぼくはたまにしかやらないが。敬遠の理由は畑仕事の過酷さでなく、就労後の酒盛りの強烈さだ。田舎の酒席は尋常ではない。そして、ぼくの牛乳原理主義は農家の人々には不評である。蜂蜜とトリュフとヘーゼルナッツパウダー入りのホットミルクが豚肉のソーセージやトラウトのフライに合うという宇宙の真理が普及しない。

 このステキな季節の難点は雨だ。この時期に地面が一度ぬかるむと、夏場のように一日二日で乾かない。雨後のダートはぐちゃぐちゃだし、石畳はかなりスリッピーだ。タイヤの消耗を考えると、みだりに外には出られない。
 
 ゆえに雨の日は物書きらしい読書デーか執筆デーとなる。先日、ぼくのナグジェ語の日記が神主さんのテストに合格した。

「つぎは仮定法過去完了ですね」

 先生はスパルタだった。

「ぼくはそれをやりますから、先生は漢字をやんなさいよ。それは『葡萄酒』です」

 ぼくはワインの漢字の綴りを思い出しながら、スプーンの柄でそれを空に描いた。

「あなたの国の文化の高度さには恐れ入ります」

 バスラの神官は頭を下げた。

「まあ、たしかにぼくもニホン語の複雑怪奇さにはうんざりしますよ。その点、ナグジェの書体はシンプルだ。文字の形はこれだけですか?」

「アミカル王国内では字形は一つのみです。大文字と小文字を書き分けるのはビドネスのあたりですね」

「ビドネス? 西の海の向こうの島の国ですっけ?」

 ぼくは地図を思い浮かべながら、ぼんやり聞き返した。

「ええ、あの島国では大文字と小文字がいまだに書き分けられます。直後の母音を伸ばすときに子音を大大文字にしますね」

「そのビドネス語、先生は使えますか?」

「少々。ご教授しましょうか?」

「各変化はありますか?」

「当然」

 先生は深々とうなずいた。

「うえー」

「しかし、漢字より簡単ですよ」

「またの機会にしましょう」

「そうですか。今は良い時期ですがね、ビドネス語を覚えるのには」

「外国語の学習に時期が関係しますか?」

「さて、タロさん、ここで問題です」

 先生は唐突に言った。

「はい、先生」

 ぼくは抜き打ちテストに身構えた。

「今年は何年ですか?」

「八百十三年」

「大正解。そして、これもあと二か月で終わります」

「先生のおかげでどうにか年を越せます」

「ひとえに信者の皆さんとバスラさまのおかげです」

 神主さんは釘を刺した。

「そのとおりです」

「来年は八百十四年で、四の倍数年です」

「それが何です?」

「この四の倍数年にはビドネスで大きなお祭りがあります」

「四年に一度?」

 ぼくはびっくりした。

「はい、前回は八百十年にありました」

「そのお祭りはどこであります?」

「ビドネス王国のリーン市です。首都のサドランから馬車で西へ一日くらいのところにあります」

「世界各地から参加者や観光客がどっと押し寄せる?」

 ぼくは促した。

「それはもうものすごい混雑です。のどかな森の中の古都が人、人、人で溢れかえります」

「伝統的なお祭りですか?」

「次は百五十回目の記念大会です。つまり、六百年の歴史を誇ります」

「へえ、本家ほどではないか」

「本家?」

「いえ・・・先生はやけに詳しいですね?」

「ええ、私は七百九十年にリーンまで行って、試合に出ましたからね」

「試合? え、やっぱり、スポーツ大会ですか? 四年に一度の?」

 ぼくは偶然の一致にいよいよ驚いた。

「スポーツ、文芸、音楽、商業の一大祭典です。この期間のビドネスは上へ下への大騒ぎです。貴族も平民も神官もすこしおかしくなります」

「それはおもしろそうだな。でも、島ですよね? 船旅ですよね?」

「陸路と海路で約十日ですね」

「船かあ・・・酔うよなあ・・・」

「ビドネスとアミカルの間の海はそれほど荒れませんよ」

「船かあ・・・ちなみに、先生はどんな競技に参加しました?」

「古式格闘です」

 先生は往時をしのんで、胸の前で両拳をびしっと固めた。

メイド・イン・ナグジェ

 数日の秋雨の後で季節が少し進んで、空気が冬の気配を見せ始めた。朝晩の気温はゆうに一桁だ。寝床から出るのが一苦労だ。自転車では手先と足先が異常に冷える。毛皮の手袋か厚手の靴下か、それが問題だ。両方を買う余裕はない。ナグジェの一般的な服飾類はハンドメイドの天然素材で、非常に重厚で高価である。

 冬物の入手を躊躇して一張羅の春物の薄手のジャケットで粘ったからか、このアラフォーのおっさんのボディは見事に風邪でダウンしてしまった。初の病欠だ。なぜか神主さんが異常に張り切って、大量のハーブ入りのホットワインをくれた。

「なんでホットミルクでないの?! 温かいキツネウドンとは言わないが、カボチャのスープかオートミールのポリッジをくれよ!」
 
 と、そんな軽口は熱っぽい舌から出ず、がらがらの喉は大人しく香草入り葡萄酒の熱燗をすすった。

 この病欠のせいでレデル工房への定期的な訪問はすこし間延びした。直前の数回の視察ではナグジェ製バイクの進捗はやや不安だった。店の営業日にはベインは工房への立ち入りを嫌ったし、定休日には制作の実態を見せなかった。現場にはバイクらしいもののシルエットは現れず、個々のパーツや図面の殴り書きばかりが目立った。不穏である。

 そんな直前の光景と病み上がりのコンディションでメンタルはかなり落ち込んだ。十日ぶりの八区への足取りは自然と重くなった。

 その日は週の半ばの平日で、レデル工房は営業日だった。しかし、建物はひっそりと不人気で、臨時休業の札が見えた。嫌な予感で胸がざわついた。

 ぼくは軒下の作業場から奥を眺めて、店と工房の勝手口をこんこんと叩いた。沈黙である。不穏な空気を察知したゼロ丸くんがベルをじゃりんじゃりんと盛大にかき鳴らした。ようやく屋内で気配が動いて、足音が戸口に迫って、扉がぎいと開いた。

「おまえはだれだ?」

 ぼくは面食らって、咄嗟にうめいた。

「お、タロさんだ。なんか痩せた?」

 その髭面の男は目をこすりながら、ぼそぼそ声で言った。たしかにそれはベインだった。しかし、毎度のこじゃれた優男の風情がなかった。

「風邪を引いてね。しかし、きみも痩せたな?」

 ぼくは若者のやつれた頬を見ながら言った。

「そう? 飯を食ったのはいつだったかな? ふわぁ」

 ベインは生欠伸を連発して、ぼさぼさの髪と無精ひげを撫でつけた。

「食うか?」

 ぼくはお土産のりんごを差し出した。

「おお、頂きます」

 ベインくんはりんごを咥えながら、ぼくを室内に招いた。

「もしや、お仕事がお忙しい?」

 ぼくはたずねた。

「仕事? ああ、ぼちぼちですね。飛び入りの修理がいくつか重なって・・・」

 ベインは生返事でふにゃふにゃと応対して、生欠伸をかみ殺し、りんごを物凄い勢いでバリバリ食べた。
 
「もしや、お休みでしたか?」

「うーん、寝落ちしちゃった? 今は何時です?」

「昼過ぎだよ」

「あらら」

「徹夜した?」

「まあね」

 ベインは手拭いで顔をごしごし拭いて、こめかみをとんとん叩いた。

「で、大将、あれの具合はどうですか?」

 ぼくは鍛冶屋をおだてながら、工房の秘密の区画へ目を飛ばした。

「あれねえ・・・」

 ベインは真剣な渋い顔をしたが、すぐに頬を緩めて、くすくす笑い出した。

「なんだよ?」

「へっへっへっへ」

「おかしくなったか?」

「へっへっへっへ。見ます?」

「お! じゃ、できたのか?!」

「へっへっへっへ、お待たせいたしました」

 ベインはりんごの芯をごみ箱に投げ捨て、異様ににやにやしながら、軽やかなステップで工房の奥へ向かった。

 久方の作業現場は凄惨な有様だった。大量の木くずと鉄くずがあたりに散乱して、粒子が光の筋に怪しく渦巻いた。

「うお! 死ぬぞ、おまえは!」
 
 ぼくは目と喉に痛みを感じて、換気用の小窓を開け、ヤバい空気を外に逃がした。

「おお! 親父の顔が見えたのは夢じゃなかったか! タロさんは輪廻転生を信じますか?」

「きみは窓の前で深呼吸しなさい」

「おれは正気だよ。で、さあ、これだ!」

 ベインは大きなカバーで覆われた何かの前に来た。

「焦らすなよ」

 ぼくはもったいぶりに唸った。

「ふん、作家先生の台詞じゃありませんな? なべてお客さんの最初の反応こそは創作のだいごみではありませんかね?」

 ベインは気鋭のクリエイターらしく言って、悠然と腕組みをした。

「自信満々だな。開けるぞ?」

「はいはい」

 ぼくはシートをばっと取り払って、「おー!」と叫んだ。そこには鉄と木の英知の結晶、超大型二輪キックバイク、伝統と信頼のドライジーネがあった。木製のスポーク、三角形のステー、革張りのサドル、船の錨みたいなハンドルはぼくの記憶の中の実機と一致する。ドライス男爵も文句を言うまい。

メイド・バイ・ベイン

「いい出来だ。素晴らしい作品だ。一発目からこの出来は相当な名人芸だ。あ、もう試走したか?」

 ぼくは記念的なナグジェ製バイク一号機を四方八方から吟味して、車輪の木製リムの傷に気付いた。

「もちろんさ。実際に乗れない乗り物は乗り物でなくてただの飾りだ。そこの鎧と同じだよ。乗り物は乗ってなんぼ、走ってなんぼじゃない?」

「道具の美学だな」

 ぼくは職人の偉業を褒めたたえた。しかし、木材のささくれや剝き出しの断面、明らかな色むらやボールペンの書き込みの跡、全体的な仕上がりの荒さはどうにかならなかったか? 

「どう? 満足した?」

 青年はにやにやしながら言った。

「完璧だ。もし、これを売るなら、なんぼで売る?」

「いや、そいつは売り物にはならない。細部が雑過ぎる。お客に売るなら、もっときちんと仕上げないと」

「あ、分かる?」

「あたりまえさ。むしろ、そこが稼ぎどころだ。金持ちの息子や貴族の旦那に売るとすれば、紋章入りの刺繍をサドルに入れるとか、名前の焼き印をホイールに入れるとか、そういう工夫で金を取れる」

「社長はさすがですな。それで私に一つ良い案があります」

 ぼくは指を立てた。

「ふむ、何かね?」

「こいつで試乗会をやりましょう」

「おお! それは非常に凡庸な発想ですな。物書きの先生の発想がそれですか?」

 ベインはいつかのお返しのようにびしゃっとダメ出しした。

「言うなあ!」

 ぼくは苦笑した。

「おれも考えたよ。乗り方から使い方から教えて、ここからここまで走らせて、車体を回収して、チェックして、つぎの人へ・・・て、一日に十人くらいが限度じゃない? 一台のサンプルで試乗会は非効率的だよ」

「じゃ、こうしよう。市内から近所の村まで行って帰って、その速さをアピールする」

「おお! それはまた眠い案だな。風邪で頭が鈍りましたか? そのお散歩でナグジェ市民がひりつきますか?」

 納期を守った製作者は妙に尊大だった。

「隣村への実走は良いアピールになるけどな」

 ぼくはやや不機嫌に答えた。

「アピールにはなるよ。でも、おれらはその結果をほぼ予想できる。馬車より速いものを走らせて馬車に勝ちましょう。はい、勝ちました。って、それは当たり前だ。ドラマがない」

「たしかに」

「おれたちが楽しめて、皆が熱狂できること、それだよ」

「社長は具体例を上げられますか?」

 ぼくは嫌らしく聞いた。

「レース」

「レース? なんのレース?」

「チャリのレース」

 ベインは意外な言葉でぼくを惑わせ、からから笑いながら、衝立の陰に回り、別の何かを引っ張り出した。

「え? 二号機?!」

 ぼくは驚いた。

「いや、こいつも一号機だ」

 若き職人はカバーをばっと取り払った。そこから出てきたのは木と鉄の二輪の乗り物だった。彼の宣言のようにそれはドライジーネの二号機でなかった。

 三角形の鉄製フレーム
 フラットなハンドルバー
 木製のソリッドホイール
 コイルばね付き革サドル
 無骨なペダルとクランク
 シャフトドライブ

「チャリやないか!」

 ぼくは驚きすぎて、キックバイクから落車しかけた。

「はっはっは! それだよ! 最高だ!」

 ベインは満面の笑みと拍手で喝采した。

「おまえ・・・ちょっと良く見せろ。こんなのは反則だぞ。勝手に文明を進歩させるな」

 ぼくは新たな車体ににじり寄った。各部の素材はドライジーネの試作機と変わらないが、車体の構造は完全に近代以降のチャリ、安全型自転車だ。むしろ、十九世紀末の実機よりデザインがモダンだ。これはゼロ丸の影響だろうか? しかも、こちらの車体の細部の仕上がりは非常に丁寧だ。

「いやー、ほんとに苦労したよ。昨日の閉店から今日の朝まで掛かった。いやー、大変だった」

 ベインは正真正銘の自作自転車の一号機を撫でまわした。

「やりやがったな」

 ぼくは羨望と尊敬の眼差しで鍛冶屋を見て、そのチャリに手を伸ばした。

「おっとっと、ぼくの愛機に触らないで。あなたのやつはそっちです」

 ベインは新車のオーナーらしく毅然とふるまった。

「見せてくれよー、うえーん」

「はあー、最高だ。心が満たされる。徹夜のただ働きが報われた」

 ベインは愉悦の極みに達して、サドルにまたがり、達者な手つきでハンドルを切って、足付きなしでバランスを取った。

「おまえは勝手に上達するなよ。しかし、短期間でよくここまで仕上げたな?」

「ゼロ丸という完全な手本のおかげさ。正直、おれの本命は最初からこっちだった。そっちは実質的に荷車みたいなもんだしな」
 
 名工は旧式の大型キックバイクを顎でしゃくった。ぼくは悔しさと嬉しさで身震いして、感動と驚愕からけたけた笑った。自転車レースへの道が開けた! 

第一回ナグジェ自転車レースの概要

 スタートはナグジェ南門のデル橋
 ゴールは南門広場
 折り返しは八キロ先のとうげの茶屋
 優勝賞金は三十スーン
 副賞はバイク三日間乗り放題券
 主催はレデル工房
 監修はタロッケス・ヤダム
 協賛はナグジェ市第八区商工会

 第一回ナグジェ自転車レースの概要はこのようにまとまった。鍛冶屋の裏工作でスポンサーは付いたが、内輪の催しがどんどん大きくなって、当初の気軽なノリが消えてしまった。

 コースの選定は自転車の専門家のぼくに一任された。おのずとベインは不利になる。しかし、彼の愛機は自転車、ぼくの相方はキックバイクだ。が、レデル氏はサイクリングの素人、ヤダム氏はベテランライダーである。総合的なハンディキャップはほぼイーブンではないか? 無論、このレースではゼロ丸はレギュレーション違反で外れる。彼の役目は会場の客引きパンダである。

 勝敗は重要だ。なぜなら当然の成り行きで賭けが発生したからだ。そして、優勝賞金の三十スーンはぼくには貴重な大金である。

 しかしながら、このイベントの本質はナグジェ製バイクのお披露目と市民への訴求及び見込み客の獲得だ。レースが円滑に進まなければ、チャリの魅力が伝わらない。

 ということで、北米系のランペイジみたいなハチャメチャな難コースや欧米系のグランツールのような長距離走は構想から真っ先に外れた。確実に車体と乗り手が持たない。

 参考はまたもや先人の記録だ。バイクの創造主のドライス男爵はドライジーネの宣伝のためにいくつかの走行記録を残した。最も有名なものはドイツのマンハイム郊外からシュヴェツィンゲンの宿屋への往復十五キロのスピードランだ。ドライス先輩はこれを約一時間で走った。脚力が変態である。

 ぼくの個人的な体験も材料になる。ある夏の北海道自転車ツーリングの最中に自転車がメカトラブルに襲われて、チェーンが回らなくなった。原因はオイル切れとチェーンテンションの掛け過ぎだったが、これは現場では分からなかった。ぼくは修理を諦め、宿までの二十キロをドライジーネの要領で地面をひたすらキックしまくった。このときの巡航速度が時速十三キロほどだった。

 ぼくはこれらを踏まえて、適当なルートを探し、ナグジェ市の南のデル橋から郊外のとうげの茶屋への往復を採用した。片道八キロ、往復十六キロの距離はドライス先輩の有名な記録とほぼ一致する。参加者がトラブっても、自力で拠点までたどり着けるフレンドリーな距離だ。正味、マラソン選手やトレランの上級者には余裕である。が、当地にはランニングシューズのようなものはない。サンダル、革靴、ブーツ、木靴などはレースには向かない。ソリッドな下駄でばかばか爆走できるのはマンガの人物だけである。

 このヤダム氏監修のコースのレイアウトは出色だ。路面は広めの石畳の車道と狭めのダートの側道の三車線で、デル橋から中盤まで平地が続き、終盤に池と森を避けるように複数のカーブが現れ、ゆるい長い登り坂がとうげの茶屋へ続く。往路の行程はおおむねこれの逆になるが、デル橋から南門広場への追加の市街地セクションがゴール前の最後の波乱を演出する。

 コースの決定の後で話がさらに大きくなった。口コミで噂を聞きつけたナグジェの物好きたちが続々と参加者に加わった。

 厳正なる審査の結果、正式な出走者が決定した。

 タロッケス、ドライジーネ
 ベイン、自作チャリ 
 金持ちの息子、馬
 農家の若者、ロバ
 さすらいの旅人、ラバ
 御者、二輪馬車
 その他大勢、徒歩

 ぴったり十二枠である。結果的に乗機なしの徒歩の参加者が多勢となったが、「ランニング大会やないか!」という野暮なつっこみはとくに聞こえなかった。むしろ、ぼくはいつのまにか参加リストに滑り込んだ金持ちの息子と乗馬に驚いた。ベインの談ではスポンサーの関係者か得意客のコネのようだった。

 事前の人気投票では本命が馬、対抗がベイン、三番人気がタロッケス、大穴がロバかラバだった。正味、二輪馬車と徒歩勢は数合わせとにぎやかしだった。とくに馬車に勝つのはバイク勢の必須条件だ。まあ、『二輪』馬車も広義にはバイクの範疇だが。

 木製ホイールのドライジーネが有利になる場面は木製ホイールのチャリや木製ホイールの馬車が有利になる場面でもある。路面のコンディションでベインからアドバンテージを得るのは無理だ。ホイールの走破性や回転性能はほぼ互角である。

 ならば、勝利への近道はコースの往復練習だ。ぼくはベインからドライジーネを借りて、実機の強度や性能のテストを行いつつ、このコースの有利なラインやポジションを研究した。

開幕

 季節外れの陽気が少し続いた。レースの運営本部は慌ただしく動き出し、あれよあれよと週末のレース開催が確定した。絶対に雨だけは論外だった。ぼくは数十年ぶりにテルテル坊主を作って、宿坊の軒下につるした。

 また、順延はぼくには有利にならないが、ベインには有利になる。告知から開催まで時間的な猶予があると、この一番弟子が自転車の乗り方のコツや中距離走のペース配分を掴みかねない。

 事実、ある日の朝にぼくとベインは折り返しのとうげの茶屋でばったり鉢合わせた。こちらはドライジーネで、あちらはペダル付きだった。しかも、やつは上り坂のところどころで立ち漕ぎという新技を披露した! おい、勝手に上達するな! 

 以上の経緯から近日の開催は不可避だった。ついでに年末のきわきわのイベントはレデル工房や後援の皆さまの商売に響いた。ということで、十二月の第一週目の週末が第一回ナグジェ自転車レースの開催日と相成った。

 当日は快晴だった。ゴールの広場には屋台やテントやのぼりが出て、朝から人が集まった。協賛の商工会の偉い人のありがたいお言葉、青年団のパフォーマンス、参加車両や物品の展示、後援者の炊き出しなどはまさにちょっとしたお祭りだった。

「大成功だな」

 ぼくは関係者のテントの下から会場の賑わいを見て、わざとらしく呟いた。

「ああ、皆のおかげだね」
 
 ベインは殊勝に言った。

「馬の人に勝てるか?」

「あー、勝てると思うよー」

 ベインは上の空で言って、メモ用紙をぺらぺらめくった。ぼくが進呈したボールペンと薄い紙は友情のあかしだった。また、これはレデル工房の自転車部門の図面作成を大いにサポートした。

「やけに気楽だな?」

 ぼくは怪訝に言った。

「うーん・・・もう何台が注文が入ってさ」

 社長は神経質にペンを走らせた。

「まじか? 何台?」

「五台。つまり、今の段階ではタロさんの取り分は三十スーンになる」

 これはぼくのロイヤリティの話だった。

「どっちが売れた?」

「これが意外にドライジーネだ」

 ベインはメモを閉まった。

「やっぱりか」

「なんで?」

「チャリの乗り方を知らない人はチャリにすっと乗れない。ドライジーネの方が直感的だ」

「ほんとにそうさ。普通の人は足を地面から離して、ペダルを漕いで、バランスを取って、ハンドルを切って、ということを一遍に出来ない。一度覚えれば何も考えずに感覚で出来るのにな」

「逆上がりや息継ぎと一緒だよ」

「サッカーガリィてなに?」

「ズィーパンの古代の奥義だ。ドライジーネの購入者は将来的なチャリの見込み客だ。商売的にはチャリよりドライジーネが売れる方が儲かる。作るのも楽だし」

「作るのはうちだけどな。でも、おれの力作がぜんぜん売れないのはちょっと残念だ」

 ベインはブースの展示車両と人だかりをぼんやり眺めた。
 
 ぼくは時間にルーズだが、ナグジェの人々はそれ以上だ。集合のドラがべんべん鳴っても、呼び出しが始まっても、参加者がなかなか揃わない。ことさらに金持ちのドラ息子のような人種はマイペースだ。

 案の定、この出走者は最後にやってきて、悪びれずに名乗りを上げ、周囲の観衆をあおった。この乗り手はなかなか小憎らしい若者だったが、乗馬は可愛い栗毛だった。

 ロバの農民とラバの旅人は寡黙だった。二輪馬車の御者は仏頂面である。これは彼が某貴族の代走だからだ。使用人は大変だ。また、この御者の主人がベインのチャリの最初の発注者だった。

 一同はスタート地点のデル橋へぞろぞろ移動した。当然のごとくぼんぼんの馬が先頭に陣取った。ぼくとベインは横に並んで、御者が最後尾に着き、にぎやかしの徒歩勢はばらばらに入り乱れて、ラバとロバはひたすらに沈黙した。

 時計台の鐘がスタートの合図だった。十二名の走者がごーんごーんという響きと観客の声援に押し出された。ぼくとベインは互いの動向を注視しつつ、ぼちぼちの出足で動き出した。

 ところが、この慎重な読み合いはドラ息子の猛烈なスタートダッシュでぶち壊された。乗り手が張り切ったか、周囲の声援が効いたか、可愛い栗毛は後続をあっという間にぶっち切って、一気に十馬身先行した。

「あれは最後まで持つか?」

 ぼくは茫然と言った。

「ダメだ。おれらが遅く見える」

 ベインは焦りを見せて、ペダルを力強く踏んだ。ぼくも釣られて、キックを強めた。

蹴るか漕ぐか

 騎馬の無茶なスタートダッシュはイレギュラーだったが、棚ぼた式にぼくの位置取りは理想の形になった。前がベイン、ぼくが後ろだ。先行車両の背中にぴったりと付いて、心理的なプレッシャーを与えつつ、空気抵抗を減らす定番のスタイルである。ベインのライン取りは的確で、石畳にはついぞ入らず、ドライなダートをきっちり捉える。おかげでぼくはキックに専念できる。

 序盤の展開はここから大きく乱れなかった。先行の馬がさすがにへばったか、すこしペースを落としたが、後続の追随を許さず、道の果ての点となった。これと同じくらいの間隔でぼくの後ろにランナーがちらほら見えた。ぱっと見で徒歩の先頭集団の速度は時速十キロ強だ。この古風な路面とあの鈍重な履物でそのペースはもはやアスリートのレベルである。ロバとラバはどっちがどっちだ? 最後尾の馬車はとうに見えない。

 二人きりの第二先頭集団が中盤に差し掛かったとき、ベインの動きがやにわに乱れた。何とこの若大将は目印を間違えて、脇道にぎこぎこ突っ込んでしまった。予習不足の凡ミスだ。

 ぼくは彼の背中を尻目にしつつ、正しい目印を見つけて、カーブを曲がった。数十秒後、後方から「あっ!」という叫び声が聞こえて、がしゃがしゃという慌ただしい物音と猛追撃のプレッシャーが背後から迫った。その差は約百メートルだ。 

「勝手に行くなよ! 卑怯だぞ! おらー! どけー! おらー!」

 ベインの怒声とペダルの軋みがはっきり聞こえた。ぼくは若社長の理不尽な難癖とスピード狂的な気迫にひるんで、ペースを乱された。道中の野次馬はこの小競り合いに沸いた。

 ふとペダルの気配が穏やかになった。ぼくが振り向いた目と鼻の先にベインの不適な顔があった。楽ちんなポジショングがバレたか!

「ああ、ここは楽だな。やっぱ、卑怯じゃないか。人の陰でこそこそしてさ」

「作戦と言え。あ、後ろの走りの人が来るぞ!」

「え?」

 もちろん、出まかせだった。ぼくは瞬間的に加速して、ライバルのプレッシャーから逃れた。

 このコースのクライマックスは往路の終盤だ。茶屋への坂道が唯一の上り区間である。距離一キロ、高低差プラス五十メートル、これは変速付きや電動アシストにはイージーだが、キックバイクやシングルギアにはハードだ。

 先頭の栗毛はすでに登り坂の半ばにいた。ペースはがたっと落ちて、躍動感はなかったが、その差はまだ歴然だった。

 ぼくはそれを遠目に見上げて、一時的に車体から降りた。

「行けよ」

 ベインの声が後ろから聞こえた。

「休憩」

「年だな」

「あー、馬が勝っちまうぞー」

「勝つのはおれだ!」

 ベインはぼくを追い抜き、立ち漕ぎで上り坂に突進した。身体の振り方や体重の乗せ方は練習の成果を感じさせた。

 ぼくはハンドルを取り直すと、車体にまたがらず、手押しでとことこ駆け出した。これは別に悪ふざけでない。むしろ、効率的な走法だ。理由は簡単、車上のキックより手押しの小走りの方がステップのテンポが短くなるからだ。まんまストライド走法とピッチ走法の差である。上り坂で足の接地の間隔が開くと、勢いが指数的に減衰して、つぎの一歩の負担が大きくなる。結果、実際の速度が乗り手の印象より弱くなり、「ぜんぜん進まんぞー!」と体感のしんどさが増す。手押し小走りではこのギャップはあまりない。

 が、この合理的なピッチ走法は先行のライバルには不評だった。坂の半ばで振り向いた鍛冶屋は怒声を発して、がっしがしペダルを踏んだ。

 ベインはド根性の立ち漕ぎで上り切って、ぼくの視界から消えた。しかし、差はせいぜい二百だ。射程範囲である。気掛かりは別のことだった。

「来ないな?」

 ぼくは首を傾げた。いち早く坂の上に消えた先頭のお馬さんとドラ息子がなかなか戻って来なかった。なんか事故ったか? 出走者的には吉兆だが、運営者的には不穏な兆候だ。

 心配性の三番手は一分遅れで茶屋に着いた。折り返しポイントの空き地は観衆と出店で活況だった。ここで蜂蜜入りの牛乳を一気飲みするのが出走者のノルマだ。これはレース監修者の独断と偏見ではない。糖分、水分、カルシウム、タンパク質を一気に補給できる完全なエイドだ。

 寸前でこれを飲み終えたベインの視線がぼくを捉えた。彼の指が無言で茶屋の脇を指さした。栗毛と道楽息子がそこにいた。順路の絶対勝者に何が起こったか? 落馬か?!

 勝者が道を踏み外したのは季節の産物、色とりどりのりんごの山のせいだった。前半の激走でくたびれたお馬さんはこの旬の果物にばりばり食らいついて、そこから微動だにしなかった。しかも、やんちゃな子供のグループがおもしろがって、いろんな食べ物を持ち寄って、妨害工作に加わった。

「旦那さん、ちゃんとお代を払ってくださいよ!」

 ぼくはドラ息子に牽制を加えて、牛乳をがぶ飲みし、悪ガキどもの猛追を振り切って、後半戦に突入した。

バイク対バイク

 とうげのピークからの一望でレースの展開が瞭然となった。トップはベイン、二位はタロッケス、三番手は往路のランナーで、後続は混戦だったが、最後尾は地平の果ての二輪馬車だった。

 騎馬の脱落とランナーの健闘は意外だが、勝負は自転車勢二名の一騎打ちだ。そして、復路の序盤の長い緩い一キロの下り坂が最初の難関となる。

 納期と製作の都合からぼくのドライジーネとベインのチャリにはブレーキ装置がない。安全型自転車の名が廃る。そして、減速は加速よりテクニカルだ。恣意的にコントロールしないと着実に事故る。

 ベインのバイクはペダル付きの固定ギアの自転車だ。ペダル、クランク、シャフトの動きがリアホイールとダイレクトに連動する。これは競輪や一輪車の車両と同じである。フリー機構なしの後輪は空回りしない。バックが出来るのもこのためだ。

 当然のごとくリアホイールの回転はシャフト、クランクに連動する。結果、下り坂ではペダルは扇風機のように勝手にぶんぶん暴れ回る。乗り手はこれを脚力で抑え込んで、うまく減速しなければならない。ブレーキできなければ、重力で指数的にスピードアップする。

 つまり、恐怖を乗り越え、足をペダルから外せば、最高速でぐんぐん加速できる。しかしながら、全くブレーキできない、止まれない。おまけに足元でぐるんぐる回るペダルが猛烈に邪魔で危険だ。

 実際、ベインはノーブレーキのフリーフォールで少し下ったが、猛烈な加速にビビって、ばっと飛び降り、とっとっとっとつんのめった。落車寸前の危なっかしい乗り方だ。こっちがはらはらする。

 他方、ドライジーネのホイールは前後共に個別で回転する。車輪は連動しない。ただの荷車、カートだ。ブレーキはまんま靴底である。乗り手は地面に踏ん張って止まる。通称ド根性ブレーキ。登りの逆の発想で慣性を適当に削らなければならない。すると、手押し小走りは非効率的になり。乗車スタイルがベターとなる。

 結果的にこの下りのセクションで適切な速度をスムーズにキープできたのはタロッケスさんだった。ベインのおっかなびっくりのダウンヒルはまだぎくしゃくと不安定だった。下りの途中で順位が入れ替わった。

「社長、お先に失礼します」

 ぼくは余裕の表情を装って、定番の台詞を投げかけた。ベインはむっと唸ったが、ペースを変えなかった。汗の多さや息遣いの荒さから疲労は歴然だった。固定ギアの下りは実にハードである。しかし、こちらの足の事情もそう変わらない。膝がぴくぴくする。

 ぼくは社長を置き去りにして、カーブ区間に入った。途中ですれ違った後続の人々はバイクの速さに一様に驚いて、「あっ」とか「おっ」という声を上げた。良い反応だ。と、同時にこれはぼくの背後の社長兼職人兼走者を元気づけて、勇気と希望と謎のパワーをもたらした。

 仏頂面の御者と馬車が最後にとことこ通りすぎた。この徹底的なマイペースはもはや名人芸だった。他方、ぼくとベインは石畳の右と左の側道に分かれて、単発的な逃げと差しを順繰りにローテーションしながら、ぜいぜいはあはあと競り合った。

 ついにスタート地点のデル橋が現れた。泥仕合はここで終わり、石合戦が始まった。つまり、ダートの側道がなくなって、道が石畳だけになった。途端に木製の車輪がばたばた暴れ、背骨がぐらぐら揺れた。

 しかし、ぼくらはスピードを緩めず、勝利のチャンスを感じ取って、必死のパッチで加速した。群衆のさきに広場とゴールが見えた。

 まさにそのときだった。後方から何者かの足音が急激に接近した。ベインではない。彼は横並びの位置にいる。馬か? しかし、通さないぞ!
  
 ぼくが進路を狭めて後ろをちらっと振り向いた次の瞬間、車両と車両の狭い隙間をすり抜けて、一体の人影がぐんと飛び出した。何とランナーだった! それはすごいスピードでぼくらをぶっちぎって、ゴールに駆け込んだ。
 
 ほんの数秒後、ぼくとベインはほぼ同時に広場へなだれ込み、ふらふらよろめいて、横倒しに倒れた。疲労で言葉は出なかったが、表情で真意は伝わった。

「負けた?」

 ベインの口からそんな言葉が出た。

「勝ったと思ったが・・・」

 ぼくは茫然と呟いて、人だかりを眺めた。そこには完全なる勝者がいて、さわやかな笑みをこちらに見せた。

勝者が望むもの

 ぼくとベインはスタッフから飲み物を貰って、ちびちび飲みながら、真の一等賞を遠巻きに眺めた。それは長身痩躯の浅黒い男だった。寒空のレースに半袖で臨むスタイルは手練れのあかしだ。額の汗と白い湯気がオーラのように見えた。

「参加者だよな?」

 ぼくはベインに耳打ちした。

「そうだ。あの人は呼び出しのときにいたよ。乱入者じゃない。なんていう名前だったか? ザザ? ザッザ? そんな風だった」

 ベインはうなずいた。

「あ、そんな名前は聞いたな。そう、折り返しのところにいたわ。完全にノーマークだった。いや、あの馬の人があそこでとちったから、そっちが気になってさ。おまえは馬鹿みたいに飛ばすし・・・」

 ぼくは茶屋の前のシーンを思い出してぷっと噴き出した。

「あれはタロさんの作戦?」

 ベインは同じくにやけながら聞き返した。

「りんご? あれは傑作だった。あのぼんぼんは代金をちゃんと払ったかな?」

「うん、主催者の判断で食い逃げは失格だな」

「二着はどっちだ? まあ、構わんか。ぼくらはあの人に負けた」

「大したもんだよ。ちょっと話を聞くか」

 ぼくらは即席の反省会を中断して、優勝者にそろそろ近付いた。

「良いレースでした」

 長身痩躯のランナーは外国風に訛ったナグジェ語で挨拶しながら、両手を胸の前で合わせて、丁寧にお辞儀した。

「ほんとにすごい走りでしたよ」

 ぼくは率直に言って、勝者を間近に観察した。身長は百九十センチ、服装は軽装で、足元はトレランのペタペタの草履みたいな靴だった。浅黒い精悍な顔立ちは遠い異国、南方の空気を漂わせた。

「私はベイン・レデルと申します。この催しの主催者です。この度のレースへのご参加をたいへんうれしく思います」

 ベインはイベントの主催者らしく非常に慇懃に言った。

「私はザザと申します。大変なお言葉に大変に感謝いたします」

 異国のランナーは直訳風のかくかくした表現で礼儀正しく名乗った。

「どちらの方です?」

 ぼくは尋ねた。

「私はリャンダから来ました」

「リャンダ?」

「大陸の南方ですね。遠い国だ」
 
 ベインは補足した。

「容易いものです。私は速く走ります」

 ザザはしなやかな長い手で長い足をぺしぺし叩いた。

「え、まさか徒歩でいらっしゃった?」
 
 ベインは目を丸くした。 

「はい、私はリャンダからナグジェへ百日で着きました」

 ザザはけろっと言った。

「ただものじゃないな・・・」

「容易いものです。私は仕事ではもっと速く走ります」

「お仕事?」

 ぼくは口を挟んだ。

「私はリャンダの伝令です。手紙や書類を届けます」

「ほう、伝令、メッセンジャー、飛脚ですか」

 ぼくは妙に納得して、季節外れの軽装な異邦人を見た。たしかにこの男の格好はほかのにぎやかしの参加者とは一線を画して、走りに特化したものだった。

「ナグジェへは何をしに?」

 ベインは言った。

「私は寄り道しました」

「寄り道?」

「はい、私はこれからビドネスに渡ります。その前にここへ寄り道しました。ここは楽しいにぎやかなところです」

「リーンのお祭りか」

 ぼくはぴんと来た。

「そうです、リーンのお祭りです。私はそれに参加します」

 ザザ殿はにこやかにうなずいた。

「それは素晴らしい目標だ。そのためにリャンダから走ってきた?! 上には上がいるわ・・・」

「そして、私はきっと優勝します」

「うーん、すてきだ」

「容易いものです。私はものすごく速く走りますから」

 ザザ殿は口癖らしいその言葉で自信満々に頷いた。実際、彼の走力は本物だった。

「ご活躍をお祈ります」

 ベインは恭しく言った。

「そうだ。優勝賞金を差し上げないと」

 ぼくは運営の立場を思い出した。

「あ! 授賞式をやってしまうか。お金はどこだっけ?」

「どうぞ、お構いなく。私は貧しい人に寄付します」

 ザザは丁重に言った。

「何とできた男だ。では、こちらのバイクの乗り方をお教えしましょう」

「どうぞ、お構いなく。私はそれに勝ちました」

「おもしろいですよ?」

「私は乗り物に乗りません」

「でも、ビドネスに渡るには船に乗らなきゃならない」

「容易いものです。私は泳ぎます」

 ザザは真剣な顔で言って、ぼくらの顔を眺めると、舌をちょろっと出した。わりとお茶目だ。

 この後、ぼくらは簡単な表彰式をやって、試乗会の準備に取り掛かった。ザザの姿はいつのまにか消えたが、彼の印象は深々と残った。

第三章 リーン遠征編

西の海の向こうへ

「ヤダムさん、港が見えますよ。もう少しですよ」

 ぼくは揺り動かされて、死人のように起き上がった。頭がずきずき痛んだが、ここはボーンシェイカーの上でなかった。船だ、海路だ、船酔いだ!

 舳先には島の影が白くきらきら輝いた。かの地が名高いビドネス王国だった。

「一思いに海に投げ込んでくれ・・・」

「それはダメです。海が汚れる。海の神の天罰が下ります」

「わしは汚物やないぞ・・・ほいで、海の神の罰は天罰やなくて『海罰』やないか・・・」

「そういう小さな言葉の綾にいちいち拘るのはほんとにあなたの悪い癖ですよ。ほらほら、元気を出して」

 付き添いの辛辣な若者はぼくの背中をさすった。彼はナグジェ市八区の商工会の見習いの子で、ビドネス出身で、ぼくの通訳兼補佐だった。口の悪さはたまにきずだが、そのほかの仕事ぶりは非常に優秀だ。ぼくは愛情をこめて、彼を補佐くんと呼ぶ。

 ナグジェからサロロ川経由で港町への川下りが三日、そこからの海峡横断が半日、ぼくの三半規管はとうに限界を越え、胃袋が反転して、さらに反転した。

 まもなく、船が港に入った。風光明媚な海辺の街が紫色に見えた。重症である。

 ぼくは真っ先に陸地に降りて、波止場のベンチに縋り付き、干物みたいにころんと横たわった。不動の大地のありがたさが身と胃に染みた。

「隊長がそんなでどうします? 舐められますよ?」

 補佐くんの辛辣な台詞が頭の上で聞こえた。
 
「舐められる? ぺろぺろと、飴のように舐められる?」

「ああ、この人は狂ってしまった!」

「このタロッケスさんを自転車以外の乗り物に乗せるからだ。きみらはいつもそうだ。大丈夫ですよ、すぐですよ、と根拠なくそそのかす。まやかしだ。ぼくは帰りには泳いで帰る。そうする」
 
 ぼくは精一杯の口答えをして、椅子の背もたれに寄りかかり、みぞおちを撫でまわした。
 
「あのレースであんなに頑張った人とは思えないな」

 補佐くんはぶつぶつ言った。

「自転車は別腹だ。さて、問題です。船で酔う男が船の上で自転車に乗ると酔うか? 酔わないか? そして、それは船酔いか自転車酔いか?」

「ここからサドランまでどうします? 河上りの船がありますよ」

「陸」

 休憩後、タロッケス小隊がケーリックの町中に出現した。編成は隊長、補佐、二頭立ての荷馬車、荷物係の少数精鋭で、積み荷は三台のドライジーネ、三台のチャリ、予備パーツ、商談用の試供品、郵便物、書類、食料、調理器具、着替え、お土産などだった。

 出発時、三台のペダル付きのチャリの内の一台がぼくの股下にあてがわれた。この数か月の試行錯誤と改良で何とロッドブレーキが搭載された! 下り坂はもう敵ではない。

 ゼロ丸は補佐くんのケツの下に滑り込んだ。この一時的なレンタサイクルは隊長のやさしさであり、無礼講な補佐くんの強い要望だった。そう、これが陸路の条件だった。

 ぼくは第二世代レデル製自転車をビドネスの石畳の街道に転がした。骨のぐらぐら加減、奥歯のがたがた具合はナグジェの道路とほぼ同じだった。チャリのさらなる進歩にはゴムの木の発見が必須だ。

 この手掛かりを持つ人物がいる。先日のレースの優勝者だ。ザザ殿は大陸の南側からはるばるやって来たと言った。個人的にインドやアラブのようなイメージが浮かび、ゴムの木の樹液の生臭い匂いがふんわりと漂ったように思えた。もし、彼とリーンで再会できるなら、その真相を尋ねようと思う。

「賛成です。このタイヤというものはほんとにすばらしい乗り心地です。もうそのかちかちの木の車輪には戻れない」

 補佐くんはフロントタイヤをにぎにぎした。

「そう、チャリはゴムタイヤと空気入りチューブで完全になる。皮バンドや布テープではその柔らかな乗り心地は生まれない」

「全くです。早くあの方を見つけて、リャンダへ出発しましょう。きっとぼくらは大金持ちになれる!」

「完璧な計画だ。いざ、リャンダへ!」

 二人のライダーは丁々発止だったが、御者と護衛はあきれ顔だった。かように空気入りゴムタイヤの必要性は部外者にはなかなか伝わらない。ボンシェイカーとゼロ丸の乗り心地は歴然だが、一般人はこの二台のバイクを乗り比べられない。選ばれしものは現時点で四人だ。補佐くんはその内の一人である。ちなみに、寡黙な荷物係はレンタサイクルの提供を「恥ずかしい」と頑なに拒否した。

 この奇妙な小隊は好奇の視線を浴びながら、荷馬車のペースに歩調を合わせて、時速五キロメートルほどでとろとろ進んだ。

レデル社エージェント業

 旅路は天気に恵まれた。二十キロ、四十五キロ、四十キロの三泊四日でぼくらはサドラン市へ到着した。

 ビドネスの首都はナグジェと同様の大都会だった。ゆえに道路状況と交通事情もそっくりだった。舗装は石畳だったし、木製ホイールのチャリはドリルのように揺れ、奥歯はがたがたした。サドランの人々の反応も同じだった。驚異と感嘆の「うぉー!」や「あっ!」が通りのあちらこちらから聞こえた。快感である。

 タロッケス・ヤダムはナグジェ市では八区とねんごろになったが、サドラン市では中央区と親密になった。ぼくの立場はレデル工房のエージェント兼ナグジェ自転車協会会長という大層なものだった。ビザは商用である。商工会の手先という声がどこからか聞こえた。

 このエージェントは補佐くんの手引きでサドラン市中央区の商工会に赴き、なんやかんやの紹介や会談や手続きを経て、宿と倉庫を確保した。

 四日の旅を共にした小隊は積み荷を市場の脇のトランクルームみたいなところに詰め込んだ後につつがなく解散した。シャイな荷物係は餞別を受け取って、ついにレンタサイクルを承諾し、ペダル付きチャリに挑戦したが、一撃で横倒しに倒れて、照れ笑いしながら去っていった。

「やはり、展示会と試乗会は大事ですね。乗り方を知らない人はじきに諦めてしまう」

 補佐くんは冷静に呟いた。

「そうさ、誰も直感的にはこれに乗れない。バランスを取る、ペダルを漕ぐ、ハンドルを切る、身体はこの三つの動作を一遍にこなせない。あとは恐怖心と恥ずかしさだな。人前でぼてぼてこけるのは格好良くない。それが上達を邪魔する」

 ぼくはしたり顔で言った。

「この人は自転車にはほんとに真摯だ」

 補佐くんは唸った。

「会長を舐めるなよ。商品の輸出は大前提だが、乗り方の輸出も不可欠だ。使えないチャリはただのお飾りになってしまう。それは道具の美学にもとる。走ってなんぼだ」

「案内書を書きます? ぼくが訳しますよ」

 補佐くんが空想のペンを走らせた。

「庶民がそれを読めるか? まあ、最初のお客は貴族や金持ちの旦那さんばかりだけどな。そういう人はこれを日頃の足に使おうとはしない。でも、ぜいたく品は時代を経ると安くなって、一般市民のものになる。この世界の本とかがそうだな」

「たしかに本はだいぶ安くなりました。おかげで農家の小倅のぼくが読み書きを習えて、町で働ける。しかし、あなたはたまに別世界の人のように話しますよね?」

 補佐くんはじろりとにらんだ。

「ぼくの故郷はリャンダより遠い場所だ。そういえば、きみの実家はどこだ?」

 ぼくはうまく切り返した。

「ここから馬車で一日くらいの田舎です」

「顔を出さんの?」

「補佐が隊長を置き去りにして、自分の用事を優先できます?」

「ごもっとも。今はお仕事の時間だ。大量の予約を取って、うちの社長を困らせてやろう」

 ぼくは多忙な社長の姿を思い浮かべた。

「もう時の人ですよ、レデルさんは。あそこは地味な工房だったのに、一夜でがらっと変わりましたよね」

「時代の流れというやつだな。天国の親父さんが浮かばれる。きみもお父さんを大事にしろよ」

「じじくさいですよ、ヤダムさん。そもそも、三年で人はそんなに変わりませんよ」

 若者は若者らしく年長の忠告を軽んじた。ぼくはふと思った

「ん、お父さんはいくつだっけ?」

「うちの親父ですか? えー、三十八・・・三十九だったかな?」

「ひゃー! わしより年下だ!」

 ぼくはたじろいだ。

「そうですよ。だから、ぼくはあなたに感心します。そんな年でひょいと身軽に未知の冒険へ挑戦できるヤダムさんは商人の鑑ですよ!」

「ヤダムさんは物書きだが?」

 フリーライターの文芸主義の信念はそう反論したが、サドランでの執筆活動はさっぱり捗らず、試乗会と展示会が大いに成功した。やはり、金持ちや貴族や道楽者が好意的だった。実際、せっかちな旦那にせがまれて、ぼくは一台の試乗車の売却に応じた。現地での二十ポンドの現金収入は若社長には秘密だった。

 ぼくらは当地の市況レポートと最初の受注票を作成して、ナグジェの本社に郵送した。これは文芸ではなかったが、文字の仕事ではあった。筆ペンの取り扱いは大変だ。ぼくはベアリングとボールペンの試作品をしつこく促して、ベイン宛ての手紙を綴じた。

つながる世界

 リーンへの移動は一日で完了した。補佐くんは文句を言いながら、ボーンシェイカーによく耐えた。免許皆伝だ。
 
 他方、ぼくは断続的なキックバイク生活で急激にシェイプアップして、二十代なかばの体重に戻った。太ももは過去一でパンパンだ。ゼロ丸を無暗に使わないのはパーツとバッテリーの消耗を避けるためとひそかな野望のためである。

 リーン市は典型的な衛星都市だった。市街は古い城壁の中にすっぽり収まり、城外にはのどかな田園地帯が広がる。しかし、四年に一度のお祭りを控えたこの都市は首都より大混乱だ。市内の広場から城の庭まで仮設の掘っ立て小屋と幌馬車とテントがすし詰めだった。

 そして、この古都のもう一つの名物が混雑に拍車をかけた。そこにも、ここにも、あそこにも四本足の柔和な動物が悠然と我が物顔で行き交った。

「鹿だな」

 ぼくはその動物を見て言った。

「あれはこの地では『リネシス』です」
 
 補佐くんはその単語を現地訛りでつぶやいた。

「リネシス?」

「ええ、この地方では『小さなリーン』を意味します。リーン神の使いですね」

「奈良みたいだな」

 ぼくは偶然の一致に感心した。リネシスの厚かましい泰然な人懐こさは完全に春日大社の鹿でしかなかった。

 城のとなりの広大な公園が祭りの会場だった。翌週の開幕を控えて、参加者や関係者らしき人々が現場でてんやわんやだった。
 
 特筆は公園内の路面だった。フラットなタイル床のパーク、体育館みたいな木製フロアの広い東屋、完璧なきめ細かい土のトラック、砂利の回廊、石の柱廊、小ぎれいな芝生の小道などなどが我々を狂喜させた。

 ぼくらは関係者に交じって、パークでしばらく遊び惚けた。フラットな硬い地面にはソリッドホイールは最高の乗り心地だった。と、大騒ぎが度を越して、見回りがやってきたが、必殺の賄賂が一切を解決した。

「ここでブースを出せないかな?」

「聞いてみましょう」

 ぼくらは逆にその見回りを問い詰めて、運営本部の情報を聞き出した。

 リーンの祭りの委員会は城中にあった。城主は市長であり、かつ大会の委員長だった。この人がたまたまその場に居合わせて、ぼくらの話を聞いてくれた。結果、試乗会の許可があっさり下りた。お祭りの活気のせいか、連日の激務のせいか、担当各位はなにか上の空だった。

「ヤダムさん、リーン神殿にお参りしません?」

 城から宿への道すがらに補佐くんが言った。

「それは私情ではないか?」

 ぼくは意地悪を言ったが、白い目でにらまれて、その寄り道に付き合った。

 リーン神殿は城の西側の静かな森の中にあった。石作りの立派な柱廊とドームは古代のロマンを感じさせ、敷地内の大量のリネシスの群れは足元を警戒させた。

 神錆びた建物の中心に御神体があった。それはまさに『大きなリネシス』の像で、巨大な鹿の怪物のようにしか見えなかった。

「リーンですよ。ありがたい神さまです」

 補佐くんは神妙な面持ちで言った。

「御利益は?」

 ぼくはせっかちに尋ねた。

「リーンは平和と幸運の神さまです。一足で千里を走り、雲を泳ぎ、時を駆けると言われます」

 ビドネス人の博識な解説は像の前の案内板からの引用だった。

「じゃ、ぼくらも必勝を祈願して、参らせて頂きましょうか」

「え、何か出場するの?」

 補佐くんは聞きとがめた。

「ナグジェの敵をリーンで討つ。このタロッケスとゼロ丸に神速のご加護を与えたまえ」

 ぼくは鹿っぽい神の像に鹿爪らしくむにゃむにゃ言った。

「分かりました。手配しますね。で、重量級にします? 無差別級にします?」

「平和の神の名のもとにしばき合うのは不毛でないかね?」

 この平和主義者はわりに武闘派な補佐くんの意地悪な発案をとがめて、リーンの像の前の案内板を見た。もちろん、表記はビドネス語だった。

「読めますか?」

 補佐くんはビドネス語で尋ねた。

「読めるさ! ただし、理解できない。通訳してくれ」

「小さなリーンを意味する『リネシス』はこの町の象徴であり、人々から愛情と尊敬を集め、手厚く保護されます」

「ふむふむ」

「また、『リーン』という呼び名は比較的に新しい時代のもので、古い時代には『ツィリーン』や『キーリン』とも称されました」

「ふむふむ・・・キーリン?」

 ぼくはふと食いついた。

「はい、この単語は『キーリン』です。頭文字が大文字でしょう? これは直後の母音を伸ばす印です」

 補佐くんはビドネス語の基本を細かく説明した。

「キーリン?」

 ぼくはアホみたいに呟いて、神速の霊獣の古い呼称と木の像を見比べ、電撃的な霊感に打たれた。心は瞬時に千里を駆け、雲の彼方に飛んで行った。

 そう、あの山、あの道、あの茂み、何かの気配がごそっと動いて、ぼくらを異世界へダイブさせた。それはまさに『鹿のような獣』でなかったか? 

「大丈夫ですか? 目がばっきばきですよ?」

 補佐くんの声が頭にがんがん響いた。

「平和と幸運の神、時を駆ける鹿のような獣・・・キーリン?」
 
 そんなこじつけがあるか? いや、でも、山田たろすけは数時間で『タロッケス・ヤダム』になったぞ。この世界の『リーン』はかの世界の『麒麟』ではないか?

 ぼくはその神の像の前でしばし呆然とたたずんだ。

地の果てのラストピース

 八百十四年三月×日、第百五十回リーン大祭がついに開幕した。ぼくらは公園内のパークの脇にブースを設け、バイクの展示会と試乗会を催しつつ、都度に休憩を挟んで、注目の競技の観覧に出かけた。

 補佐くんの興味は格闘、拳闘、相撲、戦車レースなどの激しいジャンルだった。また、一般参加のチャリオットレースにチャリで参加できないかと直前まで画策したが、レギュレーションに引っ掛かって、選手登録できなかった。

「チャリとチャリオットか。語呂は似るが、重量が違う。軽い接触で落車でリタイアだ。シャレにならない」

 ぼくは二頭立てのチャリオットのスピードとパワーを思い浮かべながら言った。戦車は荷馬車とは違う。しかも、接触と妨害はリーン大会のルールでは可である。

「すごいアピールになりますよ」

 補佐くんは食い下がった。

「きみの献身には泣ける」

「え、出場するのはあなたですよ?」

「ぼくの涙を返せ」

 一方、ぼくの注目は短距離、長距離、球技だった。とくに革のボールの飛距離を競う『遠蹴』という珍しい種目は必見だ。現代式の空気入りゴムボールはぽーんと飛ぶが、革ボールはぼてっとしか飛ばない。参加選手は裸足で掬い上げるように蹴る。キックのモーションやフォロースルーがきれいだ。いつかこのヤダムさんが空気入りゴムボールを提供しよう。

 やはり、全競技の花形は短距離だ。この予選と決勝は大会三日目の午前と午後に行われる。この日、ぼくらは朝からブースを休みにして、公園内をうろうろして、競技の様子と参加者を注視した。

「見つけた! おーい!」

 ぼくは人混みの中にお目当ての人物を見つけて、目一杯にアピールした。先方はこれに気付いて、混雑から抜け出し、ぼくの前にやって来た。

「私はあなたに呼ばれました。お久しぶりです」

 長身痩躯のリャンダ人、ザザ殿は丁重にお辞儀した。

「あなたはぼくのことを思い出せますか?」

 ぼくは相手の口調に釣られて、かくかくしたビドネス語で尋ねた。

「私はナグジェであなたと一緒に走りました。良いレースでした。そのような乗り物に乗る人はあなただけです。あなたはヤダムさんです」

「タロと呼んでください、ザザ殿。で、ほんとに泳いできたの?」

「はい、私はここまで泳いできました。容易いものです」

 ザザ殿は例のごとく言って、舌をちょろっと出した。

「ははは、意外とお茶目な方だ。これから予選ですか?」

 ぼくは土のトラックを指した。

「はい、私はもうすぐ走ります。そして、勝ちます」

「では、頑張ってください」

「私は頑張りません。私は楽しみます」

「それはステキだ。あとでちょっとお時間をくれますか? お祝いに晩飯を御馳走しますよ」

「はい、私の好物はチキンとチーズとミルクです。あなたはそれを私に御馳走します」

 ザザ殿は白い歯を見せて笑った。

 この後、短距離二種目の予選が行われた。足神速のリャンダ人は余裕の走りで圧勝した。明日の決勝が楽しみだ。

 夕方、ぼくらは飯屋で待ち合わせて、今日の勝利と明日の栄光を祝し、小さな宴会を催した。

 食後の雑談の最中にぼくは交換用のチューブを取り出して、ザザ殿に手渡した。

「あなたはこんな物質を知りませんか?」

「うーん・・・これはクワラみたいです」

 ザザ殿はしなやかな指でゴムの手触りを確かめながら呟いた。

「クワラ?」

「はい、クワラです。私たちはクワラの球で遊びます」

「クワラはどこにあります?」

「クワラはクワラの木の血です。クワラは私の故郷の森にたくさん生えます」

「それだ!」

 ぼくは地の果てにゴム的なものの気配を予感して、ザザ殿の今後の予定を尋ねた。

「私はしばらくこちらに滞在して、さらに各地を回ります。それから、夏にリャンダへ戻ります」

 ザザ殿は机の上で指をぐるぐる回した。この人の一なぞりは数百キロでないか?

「ぼくはあなたに付いて行きます。案内と通訳をできますか? もちろん、お金を払います」

「私は構いません。しかし、あなたはちゃんと付いて来れますか? 私は一日でたくさん走ります」

「できます」

「あなたはそれを私に証明できますか?」

「できます。ぼくとゼロ丸の真の力をあなたにお見せします。ぼくとあなたはもう一度勝負します。一騎打ちです。あなたは受けてくれますか?」

「容易いものです」

 ザザ殿は毎度の決め台詞で快く承諾した。酔っぱらった補佐くんはこれをぱちぱち祝福した。
 
 とにかく、これで役者は揃った。

必死のパッチ

 翌日の決勝、ザザ殿は二種目の短距離でぶっちぎりで優勝した。さらに翌日の中距離で地元の優勝候補を僅差で交わし、陸上部門の三冠を果たした。

「あの人はまさにリーンの勇者だ!」

 補佐くんは熱狂的に感動した。それは満場一致の意見だった。

「しかし、ぼくらは勝つ」

 タロッケスは観衆の喝采の中で孤独に反論した。

「その心意気には感心します。でも、あなたのどんな要素があの勇者に勝りますか? 気合だけでは勝てません。あと、試合に勝っても勝負で負けると、相手に舐められますよ」

 補佐くんの指摘は一から十まで適格だった。試合や勝負は大事だが、『舐められない』ことが重要だ。ぼくはザザ殿にぼくらの真の力を証明しなければならない。
 
 しかし、正味の運動能力の差は圧倒的だ。有利な要素があるとすれば、こちらはあちらの能力を把握するが、彼はぼくの本気を知らない・・・それくらいだ。

 深夜、ぼくはゼロ丸と二人きりになり、車体を撫でながら、バッテリー残量をチェックした。電池の残量グラフはいよいよ最後の一パーセントだった。省エネライドで数キロ、スマホで一、二回のエネルギーだ。デジタル文化の名残がついに消える。これを最大限に活かせる方法は何だ? 

 最終日の締めくくりはハーフマラソンみたいな公園周回の長距離走だった。地元選手が優勝を飾り、熱狂の一週間が終わった。

 期間中、レデル工房のエージェント業務は非常に成功した。追加の市況レポートと受注リストがナグジェの本部に送られた。

 ザザ殿は大会最優秀選手の栄光を得て、その名がリーン神殿の柱に刻まれた。そして、彼には特別な役目が与えられた。大会の終了を報告するリーン神への奉納の義、『聖なる炎を祭壇に灯す』という大役である。こんな偶然の一致は驚きだが、もはや異常ではない。こちらのやり方がオリジナルである可能性すらある。とにかく、リャンダの飛脚にはぴったりの役目だ。

 奉納の義式は閉幕の翌日の夕方からぼちぼち始まった。ヤダム氏とその補佐は勇者の友人の立場を活用して、組織員会のお偉方や神社の関係者たちに交じり、後夜祭の打ち上げに紛れ込んだ。公園には熱狂から冷められない上の空の人々と冷めた顔のリネシスがうようよいた。

 一騎打ちの舞台は幾多の勝負を繰り広げたこの夢の跡ではなかった。儀式の関係者一同はリハーサルを兼ねて、公園からリーン神殿へ何度かぞろぞろ行き来したが、その途上の一直線の参道がこんな環境だった。

 距離は二百メートル
 道幅は五メートル
 路面は良く整った土
 傾斜はなし
 両端に石柱とゲート

 ドラッグレースのコースには最適だった。

「短距離ですか?」

 打ち合わせの段階でザザ殿はこの提案を訝しんだ。

「そう、このタロッケスとこの乗り物の得意種目は短距離です。なあ、そうだよな?」

 ぼくはゼロ丸の背中をトントン叩いた。

「ピカピカですね。それはこの前の乗り物よりすごく見えます」
 
「ぼくらの本気を見せますよ。レースを楽しみましょう」

「そうしましょう」

 両者はお互いの健闘を称え、スタートの準備に入った。

 ところで、これは非公式のエキシビジョンマッチだったが、立ち合い人が多くいた。市長さんはその内の一人だった。しかも、この変則的な野試合に妙に乗り気で、ゴールジャッジの役目を買って出た。おかげで空気がほどよくひりついた

 すべての舞台が整った。と、ついにゼロ丸が長き沈黙を破り、真の力を解き放った。残り一パーセントのバッテリーがフレームからぱかっと逃げ出した。これはスポーツマンシップではない。純粋な作戦の一環である。電動アシストの二十五キロの速度制限はこういうドラッグレースでは役立たずだ。重いバッテリーは数秒でデッドウェイトになる。

 くわえて、ブレーキ、サドル、シフター、ベルも無用の長物だ。この一瞬のレースでは止まらない、座らない、変速しない、ちりんちりんしない。また、前後のサスペンションの動作は完全にロックされ、タイヤの空気圧は限界まで高められた。

 余分なパーツを引っぺがして、適切なギアを決め打ちして、必死のパッチで鬼漕ぎする・・・以上が作戦の全てであり、ぼくらの真の力である。

 締めにぼくは上着とズボンを脱いで、チェーンにオリーブオイルを垂らし、スタート練習を繰り返して、パンイチの身体を温め、人馬をベストのセッティングへ近づけた。

 ザザ殿はこれを見ながら、ローペースで調整をしたが、達人の感覚で何かを察知して、勝負師のオーラをまとった。

明日へのナイトライド

 かくして、両者は柱と柱の間のスタート位置に着いた。ぼくはラインより内側にフロントタイヤの前端をセットし、あちらは爪先をセットする。ゴールの判定はゼロ丸のタイヤの先端、ザザ殿の身体の一部である。

 重要なスターターの役目は補佐くんに委ねられた。若きビドネス人の手から旗がすっと上がり、周囲の私語が消えた。

「位置について・・・よーい、ドン!」

 両者の出だしはスムーズだった。フライングやミステイクはない。ザザ殿がスタンディングでダッシュしながら、猛烈な加速を見せ、一気に差を広げる。一方のぼくは初速のもどかしさを覚えつつ、ペダルをがしがし踏み、徐々にスピードを上げた。

 コースの半ば、百メートルほどの地点ではまだザザ殿が先行だった。そこでようやくぼくとゼロ丸の動きが完全に一致して、リズミカルな一体感が生まれた。それから、差が徐々に狭まって、ザザ殿の背中が肩に、肩が胸にと目に入った。

 しかし、こちらが抜きかけたところで驚異の勇者はさらに再加速して、ほぼ同列に並んだ。ここでぼくの頭の中で何かがぷちっと弾けて、周囲の景色がゆっくりになり、ザザ殿の息遣いがはっきり聞こえ、ゴールが異様にはっきり近く見えた。
 
 ゴール手前の数メートル、最後の最後で動いたのは三人目だった。一瞬、ゼロ丸がぎゅんと飛び出した。それはぼくの無意識の動作だったか、目の錯覚だったか、興奮した脳の誤作動だったか、しかし、こいつが勝手に動いたようにぼくには思えた。

 ぼくとザザ殿はゴールラインを通り過ぎて、慣性で神殿の前まで進み、互いの顔を見合わせて、ジャッジの方を振り返った。

 市長さんは興奮した様子で走ってきて、ぼくの手を取り、高々と掲げた。見物客の歓声が上がった。

「速過ぎる!」

 ザザ殿はほんとど初めて本気の驚きの表情を見せた。

「そうだ! 速過ぎる!」

 ぼくはそれと同じ顔をして、自分の手と市長さんとゼロ丸をぱちぱち眺めた。

 こうして、神聖な儀式の前の戯れは終わった。一同は公園の仮設テントに引き上げて、軽食や飲み物をつまんだ。

「ぼくはあなたを見直しました。さあ、これはぼくのおごりです」

 補佐くんは尊敬の眼差しで言って、勝利の美酒をどぼどぼ注いだ。

「足がぷるぷるする」

 ぼくは椅子にへたりながら、祝杯をちびちび飲んだ。絶妙な緊張と極限の負荷のせいで腰から下がバグってしまった。ふくらはぎがやたらつるし、膝がぴくぴく震える。

 他方、ザザ殿はアスリートらしくけろっと回復して、ちやほやの渦の中に戻り、握手や雑談に悠然と応じた。やはり、こちらが本物の勇者の姿だ。

 後夜祭が始めった。お偉いさん方のありがたい話を聞き流しながら、ぼくはゼロ丸からバラしたパーツを組みなおした。ケーブル類はきれいにまとまらなかったが、標準の機能は復活した。

 黄昏の中で火が焚かれた。神官がこれを松明にともして、それをザザ殿に渡した。我らの勇者はこの聖なる炎を掲げ、一行を率いて、神殿へ行進した。

 祭壇は神殿の真ん前にあった。周辺の石灯籠のイルミネーションが幻想的だった。ザザ殿の手から聖なる炎が薪に移り、火柱が上がった。祭りの真のフィナーレだった。

 ぼくは勇者の邪魔をしないように端っこにいたが、補佐くんはいつのまにか市長の近くにいた。この若者の出世街道がふと見えた。

 激烈な運動、勝利の美酒、そして、聖火の熱気で頭がくらくらして来た。身体はいよいよ不調だった。

 ぼくとゼロ丸は皆からそっと離れて、冷たい空気を吸いに行った。

 このとき、灯篭の脇の木立に何かの物陰がちらっと見えた。リネシス? 鹿か? しかし、鹿がほんのり輝くか? そうか、あれこそが神の使いでないか? 

「リーンだ!」

 ぼくは手押しでどたどた追いかけたが、ふくらはぎのつっぱりを感じると、ゼロ丸にまたがって、最後のアシストをオンにした。
 
 木立の合間にほのかな光の獣の影が静かに行き交う。ぼくはふらふらとそれに迫るが、なかなか追いつかない。こんな霊妙な動物があるか? リーンだ、麒麟だ、神の獣だ!

 この目がその鹿のような獣の神秘的な輪郭をはっきり捉えた瞬間、ゼロ丸のフロントがすとんとすっぽ抜けて、大地の感覚が足元から完全に消えた。はたまた、風景がゆっくりになったが、霊獣のシルエットはあいまいにぼやけた。
 
 直後、物凄い衝撃が足裏から脳天までどかんと突き抜けて、ぼくは死んだ。

エピローグ

 目覚めはだれかの呼び声だった。「おーい、大丈夫ですかー?」という声が何度か聞こえた。

 ぼくは暗黒の奈落から蘇って、ゆっくりと頭を起こした。黄昏の幻想的な薄闇はもはやなく、陽気な日の光がおだやかに瞼を撫でた。

 そこは急斜面の下の地べただった。高台に山歩き風の男性が見えた。

「大丈夫ですよー」

 ぼくは自然とニホン語で言い返してはっと気づいた。さきほどの呼び掛けはナグジェ語でもビドネス語でもなかった。とどめに「上れますかー?」という完全な日本語がはっきりと聞こえた。

 ぼくはそのハイカーの助けを借りて、斜面の木々を利用しつつ、どうにかこうにか上まで登った。そこはあの山、あの道、あの茂みだった。ピンクテープが懐かしく見えた。

 親切なハイカーは傷テープとスポーツタオルとミニペットボトルのお茶を置いて、ふもとへてくてく歩いて行った。

 ぼくは痛みと疲れをすっかり忘れて、お茶のキャップを開けて、頭からばしゃっと浴びた。

「夢じゃないな? いつだ?」

 ぼくはスマホを取り出して、電源をオンにした。すると、長らくぶんちんだったこのデバイスがモバイル回線を拾って、幾星霜振りにアンテナを立てた。すぐに時間の修正が掛かり、日付が正しいものに切り替わった。本日現在は十二月×日の十三時十五分だった。

「世の中には不思議なことがあるな」

 ぼくはペットボトルのお茶を飲み切り、あの茂みを一瞥して、物凄い安全運転でふもとへ下った。

 帰宅後、積年の気掛かりがしゅわしゅわ溶け去った。玄関、部屋の窓、ガスの元栓、いずれがばっちり完全密封だった。まあ、野菜室のしめじはかぴかぴだったが。

 ぼくは窓を開けて、パソコンを付けて、スマホの思い出写真をぼんやり眺めながら、この貴重な体験を書き始めた。

 タイトルは・・・そう、『落車したら異世界だった件』とかにするか。

その他
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