リチュアルアセット論 儀式化する金融資産 ミームが宗教になる市場と世界

序章:株価ではなく“意味”が買われる時代へ

最近の市場は実に奇妙だ。

チャートの形、PER、業績予想、割安感……そんな合理的な根拠、テクニカルでは説明不能な『銘柄の異常な熱狂』が存在する。

GameStop、AMC、DOGE、そして最近ではPalantir、さらにはTeslaやNVIDIAなどの超大型テック系の一部が単なる企業株から『何かの象徴』に変容する

この延長にはミームと対極のウォーレン・バフェットのバークシャーハサウェイがあるのが面白いところだ。

この現象を単なる「ミーム株の延長線、投資ブーム、余剰資金の局所的流入」として片付けるのは簡単だ。

しかし、それはあまりに浅い見方である。むしろ、現代は投資行動が儀式化し、株が宗教化するプロセスの渦中である。

ミームの復活と定着

私がこの兆候に気付いたのはGameStop(GME)のミーム騒動が再燃したときだった。2021年の熱狂の後に消息を絶った”Roaring Kitty”、キース・ギルの登場で株価は暴騰した。

「またか」という少々の神経質な既視感は先行したが、それは偶然の産物でなく、繰り返すべくして繰り返される現象であるように見えた。

誰かが火をつけ、誰かが神輿を担ぎ、誰かが叫ぶ。GMEはもはや金融資産ではなく、『儀式のためのトークン』だ。

彼らはGMEを通じて、何かに参加する。祭り、ショー、ライブパフォーマンス、そのようなものに。

これは一時的なノイズでもないし、アルゴに釣られた被害妄想でもない。市場の構造の変化、投資家の行動の原理の転調、それが合理性から信仰へ移る最初の兆候ではないか?

私はこれをリチュアルアセット(ritual asset)と定義する。儀式(ritual)のように周期的に現れ、信仰と熱狂を集め、数値ではなく意味と物語で価値を持つ資産群だ。

一部の個別株、一部のコイン、一部のNFT、そして、将来的に生まれる未知のアセットがまさにそれだ。むしろ、これを欠く資産は飛躍的に成長しない。

このような資産の背後にある構造は何か?
なぜ人々は非合理な銘柄に惹かれ、参加し、語りたがるのか?
なぜ市場は儀式化し、投資は宗教に近づくのか?
そして、私たちはこの変化にどう向き合うのか?

※本稿は投資ノウハウやファンダメンタルズ解説ではありません。これは「市場とは何か」「投資とは何か」を文化と信仰の視点から再定義する読み物です。

株価チャート
株価チャート

第1章:市場の合理性とは何だったのか?

長らく市場は『合理的』なものだった。私たちがそう信じて来た。無論、幻想だが。

それを裏付けるのが”Efficient Market Hypothesis”、『効率的市場仮説』という理論だ。すべての情報が瞬時に株価に反映され、株は常に『公正な価値』を示すというものだ。

つまり、株価の割安も割高もなく、価格は常に合理的判断の結果だという信念である。何かライプニッツの最善世界説を思わせるような理想的な説だ。

多くの投資家にはこれは単なる理論ではなく、『揺るぎない信条』であり、金融市場の『科学的真理』だった。

しかし、この『合理性』が突き詰められて、何が起きたか?

合理性の果てに

近年、インデックスファンドやアルゴリズム取引、そしてAIの登場で市場の合理性はますます強化される。

情報は瞬時に消化され、売買は機械的に行われ、価格はほぼ自動的に決まる。実質、一秒で株価は動く。ニュースのRSSや通知はそれに遅延して、後からやってくる。

私の最近の経験では2025年10月10日のトランプ大統領の米中関税再発動だ。深夜未明、それまで順調だったアメリカ市場が一気に反転した。

トランプ関税再発言
トランプ関税再発言

私は大慌てして、ソースを調べたが、トランプのトゥルース・ソーシャルの投稿に行きつくまで三十分を要した。その間に数十万円の含み益が蒸発した。Nvidiaのようなテーマ株は特に影響を受けた。

このように人間の『感情』や『物語』は市場の中心から押し出されてしまった。むしろ、それはVIXがスパイクする上記のようなショックでは高速アルゴやAIのダシに使われてしまう。

市場は巨大な自動機械となり、数字とデータだけが価値の判断基準になる。しかしながら、人間の感情と欲望は消えない。そして、人間の欲望は底なし沼の無限大だ。

GMEのようなミーム株が示すのは非合理的な熱狂や信仰が合理的な市場に共存するということだ。

金融用語ではミーム株は「織り込み済み」だ。定着、それは一時のミームやブームが文化へ進化する兆しである。

第2章:なぜ「リチュアルアセット」なのか?

ミームはカルト化し、カルトはリチュアル化する。

これは株式のことではない。文化のことだ。一時の熱狂は定着し、穏当な文化を経て、高次の儀式へ昇華する。果てが神殿と教派である。

近年、ミーム株や特定の銘柄が単なる投資対象を超え、儀式のように扱われる現象が明らかに増えた。

GameStop(GME)、Palantir(PLTR)、Tesla(TSLA)などの銘柄は数字の裏に隠れた『物語』と『信仰』で動く。

この現象を説明するために私は「リチュアルアセット(ritual asset)」という言葉を提案する。

これは「繰り返される熱狂と儀式に支えられ、意味と物語で価値を持つ資産」を指す。

リチュアルセットの特徴

リチュアルアセットにはいくつかの特徴がある。

  • 参加性:誰でも神輿を担ぎ、熱狂に参加できる
  • 物語性:ストーリーが存在する
  • 記号性:銘柄自体が文化や思想の象徴になる
  • 熱狂の余白:価格変動とコミュニティの盛り上がりを伴う
  • 周期性:祭りのように定期的に盛り上がる

つまり、リチュアルアセットは金融市場の「文化的な側面」のエッセンスだ。人間の感情、欲望、共感、信念がその価値を支える。

第3章:なぜ「合理性」が揺らぐのか? 世界の変化と市場の再構造

市場の合理性が揺らぐ背景にはグローバル経済の大きな潮流がある。現代の世界は「脱グローバル化」や「ニューブロック経済」へと急激に変貌する。

これまでのグローバルな合理的市場の共通ルールは崩れ、地域ごとの価値観や政治的な思惑が台頭する。

世界はバラバラになるが、バラバラになる傾向は共通である。右派ポピュリズムのブーム化、ミーム化だ。

政治集会はショーやライブパフォーマンスとほぼ変わらない。SNSで集まって、現場で盛り上がり、仲間的意識、部族的一体感を楽しむ。まさに政治フェスだ。

政治と金融の兆候

市場にとってこの傾向は何を意味するか? 合理性が通用する共通ルールが壊れ、投資判断の基準が分断されてしまう。

「うちはおまえのところの数値を認めない」ということだ。「その統計には嘘や捏造がある」というのもポピュリストの舌の先にはよく上る。

この結果、数字や指標では説明不能な信仰やカルト的熱狂が生まれる。

ここで重要なのは人間は合理的な判断だけで動く生き物ではないことだ。アルゴやAIを感じさせる『合理性』から離れて、『儀式』や『信仰』を求め、共通の物語や部族的一体感で安心や意味を感じる。

つまり、金融市場の合理性の動揺は同時に市場の感情化や投資の儀式化を促す。最初のミームは金融のライブパフォーマンスでなかったか? Woodstock的な。

グローバルと合理性は2000年代まで金融市場の構造的、精神的インフラだった。 数字と効率は国境や文化を越えて、共通の価値を見出す。

しかし、2020年代以降、ポストコロナではその基盤が揺らいだ。分断された世界では、合理性そのものが疑われる。普遍的な真理よりも、局所的な信念、物語、忠誠心のほうが強くなる。

そして、ついに逆転が起きた。生成AIの登場だ。

本来、合理性を担保するAIやアルゴやインデックスファンドが合理性の独占装置となり、人間の関与や意志を中心から押しのけ、辺鄙な周縁に除外する。裁量はエラーでノイズだ。

つまり、合理性の神殿はAIとアルゴと指数に奪われた。では、残された人間は何をするか?

彼らは熱狂と信仰と象徴を握りしめ、第二の神殿――リチュアル化した市場を築き始めた。

第4章:バークシャーとGMEの共通点

リチュアルアセットは単なる投資対象に留まらない。

それはコミュニティの結束点であり、文化的アイデンティティの象徴であり、市場という現代の祭りの舞台である。

たとえば、ウォーレン・バフェットが創業したバークシャー・ハサウェイの株は単なる金融資産を超えた『信仰の対象』のように振る舞う。

バフェットの哲学や人柄に共感する投資家たちは彼の経営手腕を『預言者』の言葉として信じ、バークシャーの株式を『バフェットに会えるチケット』として保有する。

そうでなければ、不動産並みに超低流動、超高額なバークシャーAを持ち続ける理由がない。それは高額の資産であり、株主総会への入場券であり、神聖な護符であり、バフェット騎士団への勲章である。

このようにバークシャー株は成熟したリチュアルアセットの一例である。実際、毎年のバフェット詣では聖地巡礼のようではないか?

実際、この老賢者が引退を発表すると、バークシャーの業績は好調だったが、株価は下落した。一部の格付け会社はバークシャーの評価を下げた。 

なぜか? 2026年に引退するウォーレン・バフェットの後継者の名前と印象が私の頭にぱっと浮かばないことがもうすでにその答えだ。我々は誰に敬意を払う? 何を拝む?

Nvidiaとジェンソン・フアン

一方、NVIDIAのようなハイテク成長株はまた別のリチュアル性を帯びる。

テクノロジーの未来を象徴し、AIの中核を担う同社は熱心なユーザーと投資家コミュニティを形成する。

かくいう私もNvidiaの信者だ。自作PCのGPU Geforce RTX3090の使用時間は平均10時間/1日に及び、Nvidiaの株式はポートフォリオの50%に達する。

グラボファン破損
グラボファン破損

このような銘柄は未来志向の祭りの神輿だ。ただの企業価値以上の意味を持つ。

Nvidiaはバチカン、ジェンソン・フアンは法皇だ。彼の黒のレザージャケットは実質的に公務上の法服である。

さらに言えば、Nvidiaはローマ帝国やカトリック総本山でなく、地中海時代のベネチア共和国で、ジェンソン・フアンはドージエ(総督)のように見える。

フアンはイーロン・マスクやラリー・エリソンのように自分の個性や業績をほぼ語らないし、派手なプライベートをひけらかさない。明らかにカエサル型の独裁者やポピュリストではない。

彼の語りはAIの未来、ロボットの進化、技術が世界をどう変えるか、そういうことに徹する。フアン自身は透明だ。主役はあくまでNvidia、それがもたらすネットワークやインフラだ。

事実、Nvidiaは独裁専制を徹底的に封じて、1000年の都市国家を築いたベネチア共和国にそっくりだ。ベネチアは地中海周辺の拠点や要所を支配せず、航路と通商を各国に依存させた。

つまり、フアンは独裁官ジュリアス・シーザーでなく、総督エンリコ・ダンドロである。と、このあたりの類似性をより詳しくを検証するならば、塩野七生先生の海の都の物語を読もう。

GMEと預言者キース・ギル

GameStop(GME)のようなミーム株の急騰はこれとはまた異なるが、『個人投資家の連帯と抗議の儀式、金融のライブフェス化』として市場の新たな一面を表す。

ここでは”Roaring Kitty”ことキース・ギルの存在が重要だ。彼は単なる情報発信者ではなく、その語り口と姿勢で多くの個人投資家に『預言者』となった。

彼の存在は宗教における『救世主』ではなく、『啓示を伝える者』としての預言者に近い。つまり、キリストでなく、エレミアである。

ギル氏は自己を犠牲にして皆を救う救世主ではない。権威を持たず、利益の追求よりも『信念の共有』を掲げ、参加者に『物語』と『目的』を与える。

事実、ギル氏のSNS投稿はアイコンやニュアンスばかりだ。決定的なことを言わない。『この株価が上がる』は時と場合ではインサイダーになりかねないからだ。

RedditなどのSNSのスレッドでは🐶 🌙 🚀で意味がだいたい通じる。アイコン=記号的象徴で伝わるのはまさしく宗教の預言である。

ギル氏のカリスマ性は単にGMEを買うこと以上の意味を人々に与えた。Roaring Kittyは個人投資家という分散した集団の象徴となり、抗議と祭りを同時に成立させるリチュアルの触媒だった。

少なくとも、2021年のあのミーム騒動の前にはこの非合理性の現象はもやもやしたものだったが、あの局面で実体化、具現化した。そして、観察され、研究され、織り込まれた。

織り込まれた。これは定着、すなわち文化である。今や金融市場でその動きは「ああ、ミーム的な動きだな」で認識される。2021年以前にはそのカルチャーはなかった。

これらはリチュアルアセットの多様なタイプだ。

  • バークシャーは正統型リチュアルアセット
  • NVIDIAは未来志向型リチュアルアセット
  • GMEは参加型フェス的リチュアルアセット

もはや、株式、暗号資産、NFTのリチュアル性は強まれども弱まらない。AIと指数の手で合理性の領地を奪われ、辺境に追いやられた人間の熱狂と欲望はそこに行かざるを得ない。

「この銘柄の株価は合理的ではない」

それは当たり前だ。合理性が非合理性をないがしろにしたからだ。人々は合理性に反感を覚え、非合理的なものに意味や共感を感じる。そして、それらが株価に反映される。

第5章:投資家はどう向き合うべきか?

リチュアルアセットの出現で投資環境は大きく変わった。まず、現実を認めることが第一歩だ。物語や感情、コミュニティの力が価格を動かし、時に理論を凌駕することを理解しよう。

バフェットの株主が示すように投資家は単なる傍観者でなく、「信仰の共同体」の一員として振る舞わなければならない。

この祭りに背を向け、見て見ぬふりをするものは時代の最も象徴的なシーンに立ち会えない「ダサい人」である。

そして、「ダサい」は現代ではほとんど瑕疵である。ダサい場所、ダサい人、ダサいコミュニティーに資金や評価は集まらない。

将来的にミームがカルト化し、カルトがリチュアル化したとき、この門外漢は何を思うか? 頭を下げて、信仰を語り、神殿に入る? それこそはダサさの上塗りだ。

合理性やグローバリズムはすでに陳腐化した。そこに文化の火はない。何より人間の感情と欲望はその残滓ではもう燃えない。

終章:金融の未来は「儀式」と「信仰」のなかにある

旧来の理想論では市場は『合理的で、効率的で、情報駆動型の場所』だった。

しかし、GME、NVIDIA、バークシャー・ハサウェイのような銘柄の動きはそれとは異なる市場の側面を如実に示す

そこでは、物語、信念、熱狂、共同体、象徴で価格が動く。

株価は企業の将来価値を織り込むトークンではない。信念と文化を共有するための記号』である。

GMEを持つとはGMEの業績を信じることではなく、GMEという存在に自分を重ね、何かに参加することだ。

2021年のミームはショートスクイーズで機関投資家やアルゴを倒す第一回十字軍の物語であった。

合理性がAIと指数に収斂する中で人間が感情と意味を託す銘柄こそがこれからの市場を動かす。

リチュアルアセットは資本主義社会の中の『感情の避雷針』であり、データと信仰の狭間に浮遊する新たな価値創出装置である。

いずれ、金融市場は二層構造になる。

  • 上層、中心にはAIが動かす効率的指数の世界
  • 下層、周縁には人間が熱狂で動かす儀式的トークンの世界

ミームからカルトへ、カルトからリチュアルへ。
株は宗教になる。